世界食べ尽くしの旅 Españoleando

スペイン在住のフードライターが、素敵な人達に出会いながら、世界中を遊んで食べ尽くすの記録

スペインの伝統文化 闘牛の歴史

      2017/03/22

スペインと言えば闘牛。そう思われる方が多いのではないでしょうか。でもこの闘牛、実は殆どのスペイン人が嫌いです。特に若者達。動物愛護の精神から闘牛をスペインと結び付けて欲しくない、そう思っている人達が多いんです。私が住むバルセロナの街では既に闘牛が禁止されています。今後どんどん他の県にも影響していくでしょう。勿論闘牛をスペインの文化として守っていきたい人達も存在します。今回は闘牛とは何なのか、をご紹介します。

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スペインの伝統文化 闘牛の歴史

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春の訪れと共にスペインにある6000以上の闘牛場の扉が開かれます。

好き、嫌い、賛成、反対、芸術、低俗、伝統文化、野蛮文化、スペインにおいて一番物議をかもし出すのがこの「闘牛」の存在なのかもしれません。

闘牛で使われる野生の牛の歴史は深く、遥か紀元前にまで遡ります。紀元前2000年頃の旧石器時代、狩猟世界であったあの時代の壁画に一番数多く描かれているのが野生の牛です。野生の牛は収穫の守り神として称えられ、それが何時しか神聖なモノに捧げる生贄的存在となりました。神の存在が確立していなかった時代に神格化されていた巨木や巨石に捧げられたのです。

このような傾向はスペインに限った事ではありませんでした。例えば同じ時代のクレタにおいても、春の訪れを祝う半魔術的な祭には1人の青年が牛と闘い、殺し、その血を村々の大地に撒く習慣がありました。一説ではそれが闘牛の起源とも言われています。

ローマ時代には宗教的な意味が失われ、”パンとサーカス”の名のごとく、スペクタクルな見世物としての「闘牛」が始りました。中世になるとサーカス的な「闘牛」は姿を消し、今度は戦の練習用として馬に乗った騎士が牛と戦うようになりました。15、6世紀ともなれば新兵器の発明によって騎士達の戦い方も変わり、このような訓練は必要とされなくなりましたが、騎士達の技能や勇気を試すモノとしての「闘牛(牛と人との戦い)」は失われませんでした。

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騎士達は広場に集まり、牛と戦う事によって技量を競い、村人達はこぞってそれを見物しに出かけました。馬の上から手槍で牛を突くスタイルの闘牛が生まれたのはこの頃です。かつての闘牛はエリート達のスポーツで、エリート達が一般庶民に披露する演劇、サッカー、サーカス、のようなモノでした。

そんな一般庶民、貧乏人達に混じって狂喜乱舞していたのがカルロス5世です。彼は王族の中で一番の闘牛好きとして知られ、彼の統治下では盛んに闘牛が催されました。

1700年、カルロス2世が世継ぎの無いまま死亡すると同時にスペイン継承戦争が始まります。勝利者となったのは初のブルボン王朝家の王、フェリーペ5世です。その彼が王としてスペインへと乗り込んで来た時、寵臣達は彼を喜ばそうと闘牛に連れ出しました。

でもこの方、フランス人にアリガチな(←かなりの独断と偏見)拒絶反応を示しました。勿論家臣たちは王にならい、右にナラエで闘牛離れが始まりました。王族、貴族達が闘牛から離れていくと、貧乏人による貧乏人の為の「闘牛」の時代が幕を開けます。そしてそれは一攫千金を目指した、アメリカンドリーム的な「闘牛」へと進んでいくのです。

歴史的に初期の頃の闘牛は、芸術と呼ぶには程遠いシロモノでした。セレクションが無い為、人間相手には大き過ぎる8~10才の牛が使用され、(現在使用されているのは5才前後の牛)戦うと言うよりは、逃げ惑う感の強い、ドタバタ大喜劇のようなモノだったのです。

そんな闘牛に待ったをかけ、「俺は美しく闘牛したいんだ!!!」 そう叫んだのはフアン・ベルモンテ(Juan Belmonte)闘牛士の父と呼ばれる男です。彼の出現によって闘牛の基礎が出来上がり、闘牛の芸術化が始まりました。それが現在のスペインの伝統文化としての闘牛へと発展したのです。

 

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