世界食べ尽くしの旅 Españoleando

スペイン在住のフードライターが、素敵な人達に出会いながら、世界中を遊んで食べ尽くすの記録

ウクライナは安全なのか。ウクライナの今後はどうなるのか。ウクライナの内戦はどうしておこったのか。

      2017/09/25

2017年7月31日現在、ウクライナはクリミア半島そしてロシアとの国境付近にさえ立ち入らなければ安全な国です。ただこの状況がずっと続くのかどうかは誰にも分かりません。それほどウクライナは今、難しい時を生きています。なぜこのような状態になってしまったのか。ウクライナの歩んだ茨の道を解説します。

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親欧米派の西ウクライナ、親ロシア派の東ウクライナ

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ウクライナはヨーロッパとロシアの中間に位置します。そんな位置関係から東と西で全く様子が異なります。西側はかつてポーランド領だった名残で街の雰囲気や人々のメンタリティもヨーロッパにとても近いです。反対に東側はロシアとの関係が深く、多くのロシア人も移住してきているのでロシアの色が強い。元から居たウクライナ人もロシア語しか喋れない人が多いです。

それだけではありません。西側はヨーロッパの穀倉とまで言われるほど肥沃な農地を抱え、農業に従事する人が多いです。東側は多くの天然資源を有する一大工業地帯。このように1つの国でありながら西と東で全く異なった顔を持つ事がウクライナをとても難しい国にしています。

 

なぜ西ウクライナの人達はロシアを嫌うのか?

ウクライナの人達はロシアに根深い恨みを抱えています。それはソビエト連邦時代に多くの人々が粛清され、人工的に引き起こされた大飢饉のせいで1年半の間に500万人以上の農民が餓死した過去を持つからです。

1928年からスターリンが指導した5か年計画。計画経済の名の元に強い国家のコントロール下で農村集団化が進められ、穀物を輸出する事で外貨を稼ぎ、それを元に鉄鋼、機械、石炭などの重工業を発展させました。

ウクライナの農民達は自身の食糧さえ取り上げられるほどソ連の外貨獲得のために酷使されました。終には5人に一人が餓死する事態となっても、農民は農業以外の仕事には就けず、移動も許されなかったのでどんなに辛い状況でも逃げ出す事は出来ませんでした。

飢えた人々は死んでしまった家畜、中には親族の肉まで食べたと言います。我慢出来ずに立ち上がったウクライナの民族主義者、地方のエリート達もスターリンは徹底的に排除していきます。餓死した農民の他に100万人のウクライナ人が粛清され、さらに1000万人が極寒のシベリア送りとなりました。

このような悲惨な過去を持つのでウクライナの人達、特に農民が多かった西部の人達がロシアに対して根本的に悪い感情を持っていると言います。中には更にもっと歴史を遡ってロシアに嫌悪感を募らせている人もいるそうです。

 

なぜ東ウクライナの人達はロシアに属したいのか?

一方ウクライナの東側は豊富な天然資源を元に、西側から搾取した外貨によって工業化が進み経済の中心地として栄えてきた地域です。ロシアからは多大なる資金と技術の提供がありました。多くのロシア人も移住しています。

ウクライナの東側は常にロシアと共に歩み、良い思いをしてきた歴史があるので親ロシア派が多いのです。

 

欧米とロシアの間で激しく揺れ動くウクライナ

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ソ連崩壊によりウクライナは独立しましたが、深い関係をロシアと保ってきました。政権はずっと親ロシア派だったのです。しかし蓄積されたロシアへの恨み、欧米への夢と期待が2004年オレンジ革命を起こしました。政権が大交代し、親欧米派のユシチェンコ政権が誕生するのです。

ユシチェンコ氏はイケメンだったのが一夜にして化け物顔となった事でも有名です。ダイオキシン中毒によるものとされましたが反対陣営に毒を盛られたのだと主張しています。そんな彼が首相に任命したのが「美しすぎる首相」として有名になったユーリヤ・ティモシェンコ。

そんなウクライナの政変をロシアは黙視せず報復に出ます。ロシアは今まで国際相場よりも非常に安い兄弟価格で天然ガスをウクライナに売っていました。そんなに欧米化したいのならと価格を一般価格にまで引き上げたのです。

そうなるとウクライナの経済は大幅に悪化し、困難な状況に追い込まれたウクライナ国民が新たに選んだのは新露派のヤヌコビッチ大統領でした。

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ヤヌコビッチは当初EUに接近を試みていたのですが上手くいかず、ロシアからの圧力もあり2013年、EUとの連合協定の調印を見送りました。それを受け「ヨーロッパへの扉が閉ざされた」と不満に思ったウクライナ国民が大統領の退陣を求めてデモが行われるようになりました。日本でもこの頃からウクライナの様子が報道されるようになったかと思います。

抗議活動は日に日に過激化していきました。そして2014年2月、首都キエフの独立広場でデモ隊と警察の激しい武力衝突が発生します。80人以上が死亡し、1100人以上が負傷しました。

西側各国のメディアはデモ、そして東側はテロと呼びました。確かにかなり殺傷能力のある武器を手にした集団は、市民のデモと呼ぶにはかけ離れた存在でした。危険を感じたヤヌーコヴィチ大統領は退陣、ロシアに亡命し暫定政権が樹立しました。

 

おそロシアの、プーチンの実行力

その間ロシアは黙々と動いていました。クリミア半島に大勢の「礼儀正しい人」が集結します。身元の分からない、統率のとれた、フル装備の人々です。そしてある日、次々と最高評議会や空港、その他多くのクリミア半島の主要施設がその礼儀正しい人達によって占拠され、ロシア国旗が掲げられました。

そして直ぐにクリミアの住民投票が行われ、98%の賛成票を集めロシアに編入される事が決議されました。こうしてある日忽然とクリミア半島はロシアとなったのです。

 

なぜロシアはクリミア半島を狙ったのか

クルミア半島南部にはロシアの黒海艦隊基地があります。クリミアはヨーロッパへの扉口、軍事的にとても重要です。クリミアの港は天然ガスの供給ルートとしても大切な役割を持ちます。

それに加えてクリミア半島は1950年代までロシアだったんです。その為今でもロシア系の住民が50%を占めるロシア的な土地でした。本土のロシア人にとってもクルミアはロシアの領土であらねばならぬ、との意識が強いです。

このクリミアの動きを見て、同じようにロシアとの繋がりが深くロシア系の住民が多いウクライナ東部の最大の工業都市ドネツクとルガンスクの2州が紛争となり、一方的にウクライナからの独立を宣言しました。

まだ記憶に新しいマレーシア航空機襲撃事件。この紛争地帯の上空を飛行してしまったが為に敵機と間違われミサイルで撃ち落とされてしまいました。

 

ウクライナの今後

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ウクライナは元来恵まれた国です。土地は肥沃でヨーロッパでも有数の穀物農地を持ち、東部では鉄工業を中心とした重工業が盛んです。ソ連崩壊後、多くの旧共産圏の国々が市場経済へ移行し、EU加盟を果たし、近代化された社会を築いています。ウクライナはそんなかつての同胞たちと同じ道を歩むつもりでした。

2017年現在、ウクライナ東部では今でも戦闘が続いています。かつて工業地帯として繁栄していた街が戦場と化し、これまでで4千300人が死亡したとされています。

ウクライナの未来は現在見通しがつかない状態です。西側のウクライナの人達はとにかくロシアとの関係を絶ってEUと共に生きたい。ウクライナは今でも国家予算の一割をつぎ込まなければならないチェルノブイリという負の遺産を抱えています。経済の中心である東部がロシア側に編入されたままだと経済的にやっていけません。

そして東部は早くロシアに編入し、昔のように平和で安定した生活を取り戻したいと考えています。

 

ウクライナには世界の思惑が渦巻いている

ウクライナはロシアに大きな借金をしています。膨大なガス使用料の未払いがあるのです。ウクライナの債務の大半はロシアなのでウクライナの経済が破綻しても欧米はダメージを受けませんがロシアにとってはたまったものではありません。債務が踏み倒しになってしまうのです。

そして地理的にロシアはウクライナを欧米側へ渡したくはありません。ウクライナからモスクワへはその距離僅か500km、その間に山脈はなく見晴らしの良い平原が広がっているだけです。そうなるとロシアの国防費を大幅に増強しなければなりません。だからこそ欧米サイドが強力にウクライナを後押ししているのです。

ウクライナの問題は既にウクライナだけの問題ではなくなっています。欧米、ロシアの複雑な利権が絡まりドロドロの状態。今後どのような状況になるのか全く見通しがつかないのです。

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