世界食べ尽くしの旅 Españoleando

スペイン在住のフードライターが、素敵な人達に出会いながら、世界中を遊んで食べ尽くすの記録

ドンキ・ホーテの作者セルバンテスの人生、そのドラマティックな生き様とは?

      2017/06/09

世界で一番売れている本は聖書です。その次に売れているのがスペインの文豪、ミゲル・セルバンテスが書いたドン・キホーテ。当時ヨーロッパで流行していた騎士道物語を読み過ぎて妄想に陥ってしまった下級貴族の主人公が、自らを伝説の騎士と思い込んで遍歴の旅に出かける話です。とても奇想天外な物語ですが、作者であるセルバンテスの人生もまたもの凄いんです。真実は小説よりも奇なり。小説よりもドラマティックに生きた男、ミゲル・セルバンテスの生涯とはどのようなものだったのでしょうか。

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若きセルバンテスは大志だけを抱いて旅立った

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ドン・キホーテの作者であるミゲル・セルバンテスは1547年、マドリッド北東にあるアルカラ・デ・エナーレスの街で生まれました。父親は外科医ですが正式な免状を持たないヤブ医者。セルバンテスの家族は常に貧困にあえぎ、患者を求めて村々を転々とする生活を送っていました。

セルバンテスは正規の教育を殆ど受けていません。でも幼少の頃から読書家で字が書いてあるモノなら全て、道端に落ちている紙切れでさえ拾って読んだと言われています。  

文筆家として初めて名を残したのは1569年。人文学者ロペス・デ・オーヨスが編集したフェリーペ2世の王妃追悼の散文集に、どんな経緯だったのかは知られていませんがセルバンテスの3編の詩が収められています。

その頃セルバンテスはツテを頼って、栄華咲き誇るルネッサンス文化まっただ中のローマに渡ります。暫くの間はアックワブィブァ枢機卿の侍僕などをして食いつないでいましたが、血気盛んな若者だったので大志を抱きイタリア軍に志願入隊します。セルバンテス22歳の春でした。  

 

セルバンテスの栄光時代。英雄と呼ばれて。

歴史上の三大海戦の1つでもある1571年のレパントの海戦で、セルバンテスはトルコ軍を相手に勇敢に戦いました。地中海でのイスラム勢力撃退に貢献する大勝利の立役者となりましたが、その海戦で胸と左腕を火縄銃で撃たれてしまいます。胸の傷はかろうじて癒えたものの左腕は硬直。彼の言葉を借りるなら、「右手の名誉をあげるために」セルバンテスの左手は生涯きかないモノとなりました。

それでも軍人として生きる事を誇りとし、決して諦めず、再び戦場へと舞い戻るのです。そんなセルバンテスの戦功は認められ、彼は一躍時の人、英雄となりました。  

 

不運のはじまり。英雄から囚われの身へ。

1575年、同じイタリア軍に居た弟のロドリゴと共にナポリからガレー艦ソルに乗り、故郷スペインへ錦を飾る旅に出ました。セルバンテスの勇敢を称えに称えた王様の提督ドン・フワン・デ・アウステゥリアの感謝状、推薦状を手にして。 つまりセルバンテスは英雄として、故郷での栄華が約束されていたのです。

ところがスペインの大地を目の前にして、セルバンテスの乗った船はトルコ小艦隊に遭遇してしまいます。小競り合いの後、彼等は捕虜としてアルジェリアの首都アルジェに送られてしまいました。  

 

セルバンテスの不屈の精神。決して諦めない心。

そんな逆境の中でも、セルバンテスの反骨精神、不屈の闘志は衰えを知りませんでした。他の囚人を煽っては脱出を試みます。 例えば1580年、当時ちょうどアルジェに居た母国バレンシアの商人達に60人を乗せられる小艦を用意させ、4回目の脱走を試みます。しかし後少しの所で裏切り者に密告され失敗してしまいました。

そんなこんなが重なって、セルバンテスは死刑の危機にも瀕します。でも仲間をかばう心、そしてその豪胆さは敵にさえ敬服の念を抱かせました。何度となく恩赦が与えられ、セルバンテスは辛うじて生き延びることが出来ました。身代金による解放のチャンスがあった時も、スペインに妻と子供を残してきた弟に機会を譲っています。  

 

英雄である事の代償

そもそもの不運はセルバンテスが所持していた推薦状でした。これは帰国後スペイン宮廷での地位を約束するものでしたが、捕らわれの身となってしまっては身代金を吊り上げる為の紙切れでしかありません。

セルバンテスはスペイン国王に身代金を払ってくれるよう再三手紙を出します。でも全くナシのツブテ。スペイン国王に限らず、都合の悪い時は無視するのが正式な国王のあり方です。

どこまでも反抗的な彼は、捕虜時代の最後の方では両手足を鎖に繋がれる程でした。そしてついにはトルコへ送られる手筈が整えられたのです。そうなれば2度と故郷スペインへは帰れないのは誰の目にも明らかでした。  

 

セルバンテス英雄時代の終焉

極限まで追い詰めらた英雄セルバンテスを救ったのは、国王では無く彼の貧しい家族と修道士達でした。家族が3000エスクードを用意し、不足分の2000エスクードを修道士達がアルジェに居たキリスト教徒の商人の間を駈けずり回って用意したのです。

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1580年9月、晴れて自由の身となってスペインのバレンシア地方にあるデニア港に降り立ったセルバンテスは33歳。11年振りの故郷で彼が一番に悟った現実は、英雄であった彼の名は忘れ去られ、英雄としての人生もまた既に終わりを告げていた事でした。

 

セルバンテス、ゼロからの再出発

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学歴も無く、一文無しとなってしまった過去の英雄セルバンテス。当時の国王であったフェリーペ2世の秘書宛に、過去の戦功に相応しい報酬やアメリカ新大陸での就職を再三願い出ますが、ただタダ冷たくあしらわれるのみ。 文筆で身を立てる事を志し、戯曲を書いてみるのですが失敗に終わります。

ある女優と不倫関係に陥り女の子を産ませた後、何事も無かったかのように別の女性カタリーナ・デ・パラシオスと結婚します。1584年、セルバンテスは37歳、花嫁は19歳でした。 花嫁の持参金で生活が小康を得たのもつかの間、セルバンテス一家はどん底の経済状態となります。その頃初めての小説La Galateaを、1336レアルで売りますが評判はサッパリ。  

 

かつての英雄がやっと得た職は誰もやらない底辺の仕事

日々悪化する経済状態は、この文豪をとんでもない職に付かせさせます。イギリス艦隊と戦うスペイン無敵艦隊への食料調達係りです。それがどんな仕事かと言えば国王の名の元に、度重なる増税と飢饉によって飢え苦しむ人々の微々たる食料までをも取り上げる仕事でした。

教会所有の穀物まで差し押さえしなければならなかったので、報復としてセルバンテスは教会からの全面的な追放を言い渡されました。 1588年に無敵艦隊が敗れこの忌まわしい仕事を失うと、次ぎにあり付いた仕事は滞納した税金を徴収するコトでした。

徴税吏に身を落としアンダルシアの野を歩きまわる屈辱の人生。 どの仕事も人々の恨みを買うモノですから彼と家族は村八分にされ、道を歩けば石を投げられるほどでした。 

更には公金を預けておいた銀行家が失踪してしまったため無実の罪で牢獄にも入れられてしまいます。かのドフトエフスキーもそうですが、牢獄と言う場所からは数々の名作が生まれました。セルバンテスも又、彼の言う「あらゆる不便が幅を効かせ、あらゆる侘しい物音の棲家である牢獄」で名作ドン・キホーテを生み出したのです。  

 

かつての英雄を支え続けた家族達

セルバンテスの家族構成は、妻と娘、そして姉とその私生児、更に妹。見事なまでの女所帯です。だからこそ文豪のピンチにお金を調達する事が出来たのだと考えられています。何を言いたいか分かって下さいましたか?つまりそんな訳なので、ご近所の評判も大変悪く、警察の世話になる事も多かったようです。  

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どん底を歩む男がどん底の人々を救う

1605年セルバンテスが57歳の時、マドリッドでドン・キホーテ第一部が出版されました。主人公が織り成す、そのいかにもスペイン的な誇大妄想的ファンタジーは、当時悲惨なまでにドン底の生活を送っていた人々の現実逃避に役立ちました。

物語は人々の心を捕らえ、評判もとても高く各地で版を重ねました。出版した年のバリャドリッド市のカーニバルでは、既に小説の主人公であるドン・キホーテとサンチョに仮装した人達が見うけられたとも言われています。

1606年に宮廷がバリャドリッドからマドリッドへ移転したのに合わせて、妖しいセルバンテス一家も首都へ移りました。セルバンテスの書いたドン・キホーテは売れに売れ、大ベストセラーとなっていたのにも係わらず、彼は相変わらず貧乏でした。物語の版権を2000レアルで売ってしまっていたからです。

2000レアルって、どれ位の金額だか分かりますか?同じ頃セルバンテスの妹が、愛人から手切れ金として受け取ったお金が3000レアルです。 その程度の価値です。そして懲りない男セルバンテスは、そんな貴重な2000レアルを元手に、一攫千金を狙って賭博場に通います。そして何処までも運の無い男は、直ぐに又すっからかんになりました。  

 

本人は自覚なし、でも人々の心の中の英雄としてこの世を去る

ベストセラーとなったドン・キホーテ。あまりの人気に贋作が現れたので、抵抗の意味でセルバンテスは第2部執筆のピッチを上げました。そうして1615年、10年の歳月をかけた偉大な作品、ドン・キホーテが完成しました。既にその時点で彼の物語は英・仏訳され、各国の人々から賞賛されていました。更には色々な国の作家達にも大きな影響を与え、つまりセルバンテス、英雄時代再び、な訳です。

でも本当に何処までも運の無い男は、そんな事を夢にさえ見るコトも無く、最後の最後まで極貧のまま、1616年4月23日、その波瀾に飛んだ人生の幕を閉じました。 死因は水腫か糖尿病だったと言われています。

真実は小説より奇なり。セルバンテスの生き様は彼の描いた空想の主人公達よりももっと遥かにドラマティックなものでした。

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