日本の伝統美が凝縮された「和菓子」。その和菓子が現在、世界中の美食家や健康志向の人々を虜にする「ZENスイーツ」として新たな黄金期を迎えています。繊細な見た目、素材を活かした優しい甘さ、そしてその一つひとつに隠された深い歴史。今回は、和菓子に関する全てをお伝えします。
海外で発生した静かな和菓子ブーム
長らく国内では「若者の和菓子離れ」が囁かれてきましたが、2026年の今、状況は一変しています。SNSで和菓子の視覚的な美しさが拡散されたことに加え、植物由来の原材料であることが、世界的なベジタリアンブーム、そしてウェルネス志向とマッチし、究極のヘルシースイーツとして世界で静かなブームを巻き起こしています。
世界で最も認知度の高い「どら焼き」

Ocdp, CC0, via Wikimedia Commons
和菓子の定番と言えば「どら焼き」。世界中の人達が「ドラえもんが食べてるあれ」として認知しています。現在の私たちに馴染みのある「2枚のフワフワした生地で餡を挟む」スタイルは、実は大正時代に東京・上野の「うさぎや」が考案したと言われています。江戸時代までのどら焼きは、1枚の生地を折りたたむ形が一般的でした。現在の形は日本独自の「ホットケーキ文化」との融合とも言える進化の形なのです。
ちなみにどら焼きの「どら」は、法要などで使われる打楽器の「銅鑼(どら)」に形が似ているからという説が有力です。また、かつては銅鑼の上で生地を焼いていたという説もあるのだそう。
【グルメ耳寄り情報】
上野エリアを訪れたなら、どら焼き発祥の地と言われる名店を巡りつつ、近くの「あんみつ」の名店もハシゴするのが通の楽しみ方です。
羊羹(ようかん):羊のスープが甘美な菓子へ進化した奇跡

Asturio Cantabrio, CC BY-SA 4.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/4.0>, via Wikimedia Commons
驚くことに、羊羹の漢字には「羊」が含まれています。
これは、発祥の地である中国において、本来は「羊の肉のスープ」だったことに由来します。このスープを日本へ伝えた鎌倉・室町時代の禅僧たちは、肉食を禁じられていたため羊の肉に見立てて小豆や葛、小麦粉を練り固めたものをスープの具として使いました。
時代が経つにつれ、精進料理から蒸し菓子へと姿を変え、江戸時代に寒天が使われるようになって現在の「煉羊羹(ねりようかん)」へと発展したのだそう。
2026年の羊羹トレンド
こってりした甘さが特徴の羊羹は、エネルギー密度の高さから世界中のトップアスリートの間で「理想の補給食」として注目されています。また、保存性もよいことから災害時の非常食としても重宝しているのだそう。
大福:お腹を満たす「福」を運ぶお餅

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江戸時代に爆発的な人気となった大福。ルーツは室町時代の「鶉餅(うずらもち)」と言われています。かつては「腹持ちが良い」ことから「腹太餅(はらぶともち)」や「大腹(だいふく)餅」と呼ばれていました。のちにある和菓子屋が「腹」を縁起の良い「福」に書き換えて売り出したところ、庶民の間で幸運を呼ぶ菓子として親しまれるようになったのだそう。
【グルメ耳寄り情報】
大福と言えば金沢の「末広堂」です。老舗和菓子店として地元の人達だけでなく、全国の人から愛され続けています。新鮮な日本海の幸が楽しめる近江町市場がすぐ近くにあるので、海鮮丼を堪能した後のデザートに大福、これぞ日本の贅沢です。
いちご大福:三重県から始まった昭和の革命児
大福の長い歴史に比べ、いちご大福の登場はわずか40年前のこと。津市観光協会によると、三重県津市の「とらや本家」の店主が、余った大福にいちごを乗せて食べたところ衝撃的な美味しさだったため、1986年に商品化して売り出したのだそう。
今や和菓子の定番となったこの組み合わせは、フルーツの酸味と餡の甘みの黄金比を完成させた、まさに近代和菓子のエポックメイキングです。
ところてん:平安時代の貴族も愛した涼の極み

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和菓子と言えば、餡子というイメージがありますが、餡子を使わない和菓子の代表格がところてんです。専門店「ところてんの伊豆河童」によれば、仏教伝来とともに伝わり、平安時代にはすでに市場で売られていたという記録があります。当時は非常に高価な食べ物で、貴族階級の特権的な涼味でした。
2026年ところてんのトレンド
現在、ところてんは食物繊維が豊富で低カロリーなことから、デトックス食材として世界中のヘルシー志向な若者の間でブームを巻き起こしています。
みつ豆:江戸の屋台から浅草の名店へ

akira yamada, CC BY-SA 2.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/2.0>, via Wikimedia Commons
ところてんと同じく、テングサを原料にした寒天でつくる和菓子の代表例がみつ豆。その原型は江戸時代末期、屋台で売られていた子ども向けの駄菓子です。当時は米粉で作った舟に、エンドウ豆を入れ蜜をかけただけのシンプルなものだったのだそう。これを明治時代に浅草の「舟和」が、寒天や求肥、フルーツを加えて銀の器に盛り付け、一気におしゃれな「ハイカラスイーツ」へと昇華させました。
あんみつ:昭和初期に完成した和スイーツの王者
そのみつ豆に餡子を加えた「あんみつ」は、昭和初期に銀座の老舗などで誕生しました。みつ豆の涼感と、餡の濃厚な甘さが見事に融合。
2026年の今では、ヴィーガンアイスを乗せた「令和版あんみつ」が、銀座を訪れる外国人観光客の間で不動の人気No.1となっています。
カステラ:スペイン王国の名を冠した「逆輸入」和菓子

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16世紀にポルトガルから伝えられたカステラ。その名は当時イベリア半島で勢力のあった「カスティーリャ(Castilla)王国」に由来します。
本来は保存食に近いパウンドケーキのようなものでしたが、日本で独自に「水あめ」を加えるなどの改良が加えられ、本国にもない「しっとりふわふわ」な今の形になりました。
最中(もなか):平安の月夜が形を変えた名品

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名古屋の「鯱もなか本店」などによれば、「もなか」の名前は平安時代の和歌に詠まれた「最中の月(中秋の名月)」に由来するといいます。もともとはお月見の宴で出された、餡のない丸い餅を指していました。
江戸時代に、この丸い餡に砂糖をまぶしたお菓子が「もなかの月」と呼ばれるようにになり、さらに餡をはさんた現在の形へと進化を遂げました。
練り切り:江戸の美意識が息づく「食べる芸術」

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白あんと求肥(ぎゅうひ)を練り上げ、四季折々の自然を表現する練り切り。江戸時代に茶道とともに発展したこの菓子は、単なるスイーツではなく、茶の湯の精神を具現化する存在でした。
2026年、練り切りはデジタルアートとも融合。タブレットでデザインした模様を、職人がその場で再現するライブパフォーマンスが、日本国内の高級ホテルで人気を集めています。
金平糖(コンペイトウ):戦国武将を虜にした「星の結晶」

Midori, CC BY-SA 3.0 <http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0/>, via Wikimedia Commons
キラキラと輝くトゲが特徴の金平糖は、戦国時代にポルトガルから伝わった「南蛮菓子」の代表格です。その語源はポルトガル語で砂糖菓子を意味する「コンフェイト(Confeito)」。
当時、日本では砂糖は極めて貴重で、織田信長もその美しさに魅了されたと言われています。
この独特なトゲの数は、完全な物理法則の解明はなされておらず、熟練の職人が2週間以上かけて大釜を転がしながら、五感を使って作り上げています。


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