ベネズエラの経済危機、治安悪化の理由
ベネズエラ・ボリバル共和国は年間を通じて温暖で、緑や花あふれる、とても美しい国です。ベネズエラの人達は愛情豊かで誇り高く、美男美女の割合が世界で一番多い事で有名です。そんな美しい国に住む、美しいベネズエラの人達が、今、危機的状況に追い込まれています。
ベネズエラの経済危機はどうしておこったのか
原油埋蔵量世界一を誇るベネズエラは、かつて中南米で一番豊かな国でした。常夏の緑豊かな山々、色とりどりの花、光り輝く海。ベネズエラが「この世の楽園」と呼ばれていたのは、美しい自然の宝庫であるだけでなく、オイルマネーで国が潤い、国民が豊かさを謳歌していたからです。
そんなベネズエラがアフリカのような飢餓に貧し、シリアやイラクと並ぶ難民大国となるなんて、誰が予想出来たでしょうか。
1914年に世界最大級の油田が発見されると、貧しい農業国であったベネズエラは、一躍南米屈指の豊かな先進国となりました。そんなオイルマネーが仇となり、石油だけに依存した結果、国内での生産的な産業が廃れてしまいました。
原油価格に国の経済が左右されるようになり、2014年に原油相場が大暴落すると、ベネズエラの経済は急激な坂を転げ落ちるかのように悪化しました。
窮地に至った国家財政の埋め合わせをする為に政府は紙幣を印刷し続け、それがハイパーインフレを引き起こしました。ベネズエラ通貨は紙屑と化し、政府は随分前から正式なデータの公表をストップしているので正確な数値を出す事は出来ませんが、インフレ率は100万%近くに達していると言われています。
これは国内通貨の価値が失われ、経済が麻痺した、1930年代のドイツと酷似しています。一個のトイレットペーパーを買うのに、お札の束を何段も積まなければなりません。
それでもお金さえ払えば、物が買えた分まだ良い方だったのです。今では何もかもが入手困難となり、スーパーに物が陳列される事がなくなりました。一斤のパンを買う為に、何時間も列に並ばなくてはなりません。
ベネズエラの治安はどうして悪くなったのか
国民の怒りは政府に向けられ、激しい暴動が幾度も起こり、多くの死者を出しました。食料不足は日に日に酷くなり、栄養失調が国中に蔓延します。
同時に治安がどんどん悪化していきました。殺人事件の発生率は東京の100倍。ここ数年、治安の悪い国ランキングの上位を常にキープしています。
首都カラカスは特に酷く、度重なる暴動で街が荒れ、貧困から略奪が横行しています。人々は今日の飢えを補うために暴行を行うまでになってしまいました。
ベネズエラからベネズエラ人がいなくなる
この世の楽園と呼ばれたベネズエラを訪れる人はもういません。愛国心の強いベネズエラの人達ですら、どうにかして国を抜け出そうとしています。毎日5000人以上の人達が国境を越え、既に230万人のベネズエラ人達が国外へ退去しました。
このような危機的状況では、豊かで高学歴になるほど身の危険を感じるものです。多くの富裕層や知識層が国外に逃げ出してしまったので、国は更なる打撃を受けました。
特に医者不足は深刻で、今もしベネズエラで病院へ行かなければならない事態に陥ったら、治療してもらえないかもしれません。医者や医療品だけでなく、水すらも不足し、病院は開店休業状態に陥っています。
ベネズエラがまだベネズエラであれる不思議
政治不安、ハイパーインフレ、食糧不足、治安悪化、インフラの崩壊。国の状況は年々酷くなっています。とうとう底に足がついた。もうこれ以上落ちる事が出来ないぐらいどん底だ。
毎年そう言われているのに、次の年になれば更にもっと状況が悪くなっている。そんな人々の想像を超えた最悪の状態が続いています。
どう考えてもベネズエラはもう、崩壊してしまっているのです。それなのに未だベネズエラのいう国が存在している事が不思議でなりません。
ベネズエラの本当の姿とは
私は2年ほど前に、政府がタイアップするカラカス見学ツアーの通訳としてベネズエラを訪れました。貴重な外貨を獲得できるツアーだったので、ベネズエラ政府は国をあげて私達をもてなしました。
私達は軍隊に守られながらカラカスの街を観光し、美味しいベネズエラ料理を楽しみました。既に食料危機に陥っていたベネズエラで、あんなにも大量のツアー客分の食べ物を用意出来たのは奇跡的な事です。ベネズエラ政府が後についていなければ、ありえなかったことでしょう。
私が訪れたのは2年前の事なので、今より状況は良かったはずです。それに加えてベネズエラ政府が監修したツアーだったので、色々と隠された事が多かったのではないかと思います。
ベネズエラの現大統領、ニコラス・マドゥロ氏は国の危機的状況を頑なに隠そうとしています。「ベネズエラに食糧不足など存在しない。外国の勢力がベネズエラの政治に介入する為に、嘘の情報を流しているだけだ。」そう主張しているのです。
ツアーには政府関係者が常に同行し、色々と面倒を見てくれました。とてもフレンドリーな人達でしたが、余計な事を見聞きしないよう、さりげなさを装って見張りをしていたように思えました。
それでもスペイン語通訳としてツアーに参加していた私には、色々な情報が入ってきました。ツアー中に私達が食べた料理は、既に旧ベネズエラ料理となっていて、ベネズエラにはもう存在しない料理だと、レストランの人達がこっそり教えてくれました。
ベネズエラがどうなってしまうのか。勿論西側メディアの言う事だけを鵜呑みにする事は危険です。いずれにせよ、あの美しい国の、美しい人達が、かつての平穏を一日でも早く取り戻せるよう、遠くからエールを送り続けていこうと思います。