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プンタアレナスはチリの最南端そして南米大陸の最南端

      2017/07/12

南米大陸のチリ側最南端の街プンタアレナス。南極へのクルーズ船が発着するアルゼンチンのウシュアイアが世界の果て、南米大陸の最南端だとされていますが、実際は島なのでチリのプンタアレナスが大陸としては最南端です。それ程見所が多い街ではありませんが、正式な最南端、そして郊外には素晴らしい大自然が広がります。今回はそんなプンタアレナスのガイドさんから聞いた為になる情報のまとめ。

 

プンタアレナスの基本情報

・スペイン語で「砂の岬」を意味する。
・南北4329kmに及ぶチリ共和国の南端。
・サンティアゴから2400kmの位置にありマガジャネス州の州都。
・プンタアレナスはチリにおいて最も面積が広く、人口密度が最も低い街。
・マガジャネス州の人口の90%はプンタアレナスに集中している。
・パタゴニア南部最大の都市で人口は13万人。
・海に囲まれているので、緯度のわりには気候がマイルド。冬の平均気温は-1℃、夏は14-15℃くらい。
・常に強い風が吹いている。世界で最も風が強い都市の第四位。だから傘をさすのはヨソモノだけ。ちなみに他の3都市はニュージーランド、カナダ、アルゼンチンにある。
・太平洋から吹く風がものすごく強い。時速130キロ。風の強い日はビルとビルの間にロープを張って、人々はそのロープをつかんで歩く。
・1900年代から羊の飼育によるウールやラム肉の生産が盛ん。
・油田も保有しているのでチリ国内の天然ガスは全て国内でまかなっている。
・無課税の都市なので隣国アルゼンチンから電化製品を買いに来る人が多い。
・サーモンの養殖、蟹などがアジアに輸出されている。
・魚介類も多く採れるが海藻も多い。中国や日本へ輸出される。

 

プンタアレナスの歴史

・1520年、大西洋と太平洋をつなく海峡を探していたマゼラン(マガジャネス)率いる艦隊が「世界史を変える海峡」を発見。
・1583年にスペイン人が入植しようと試みたが、失敗に終わる。厳しい環境に耐えられず、3000人の入植者が5年後には生存者2人のみという、スペインの植民地時代の歴史の中で最も悲惨な結果となった。
・1810年、チリはスペインから独立する。

・当時のブルネス大統領は、マゼラン海峡とその周辺の地域がチリの領土であることを主張するために、遠征船(23人)を送る。4ヵ月かけてマゼラン海峡を渡り、飢饉港(Port Hamble) へ到着。要塞を建設。
・海峡が見渡せ軍事要塞には適していたが人の定住には向いていない。この地域は今でもチリの他の場所から孤立している。
・当時は4ヵ月に一度政府が船で物資を届けていた。
・気候も厳しかったので、よりよい場所を求めて、海岸沿いに北上し、砂の多い岬を発見。木々があり、水があり、砂金があり、気候も若干ましなので街を作った。そこがプンタアレナスとなった。
・一般人の定住が厳しい環境のため難しかったので流刑地とした。
・5年間かけて街を囚人たちに作らせたが、囚人たちが束になって反逆し、街を焼いてしまう。(そのときにブルネス要塞も焼けてしまったので、現在残っているものは1940年に再建されたレプリカ。1968年に国定記念物に指定された。)
・その後、刑務所は閉鎖。政府は移民を増やすため、土地を与えたり、税金を免除したりする政策をうった。
・石炭産業、またアメリカとヨーロッパをつなぐ回路の中継地として経済が発展した。
・1870年代は、ヨーロッパ各地から移民がきた(クロアチア、ドイツ、イギリス、スペイン、フランス等)。
・1914年、パナマ運河の開通と共に静かな街に戻った。

 

サレシアーノ博物館

・サレジア会の宣教師がはじめて来たのは1887年。
・1893年にこの地域の文化や生態系の保存のために、サレノシア博物館をオープンさせた。
・動物の剥製、先住民族の生活様式、入植者、南極、石油産業、経済発展についての展示がある。

 

ブルネス要塞

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・ブルネイ要塞はプンタアレナスの歴史上最も重要な場所。この地域ではじめて定住
が成功した。
・1843年9月21日に22名が上陸。
・チリ政府は海峡の領有を確定する為に海峡の中間地点にブルネス要塞を築いた。
・当初は要塞のある場所に入植していたが厳しい寒さと風の為プンタアレナスへと移動。
・1848年プンタアレナスを建設。
・壁の部分はレンガを積み上げているが日干し煉瓦ではない。レンガの泥には草の根っ子が入ったままなので日が経つとレンガから草が芽吹いてくる。そうやって強度を得る。

 

チリの南北真ん中の碑

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チリは本土から南極の一部の領土を主張している。なので、チリの北から南極を含めた距離の真ん中に位置する。

 

フィッツロイ海峡

・フィッツロイはダーウィンが乗っていたビーグル号の船長の名前。
・オットエウイとスカイリンを繋ぐ。
・以前は近くに石炭鉱山があったため船が頻繁に行き来していた。

 

ラ・クルスの丘

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・プンタアレナス市やマゼラン海峡を一望できる展望台。
マゼラン海峡は全長517キロ、幅は平均40キロ、一番狭いところが3キロ。
・海の向こうの大きな島はティエラ・デル・フエゴ島。
・元々は眼下に広がるプランテーションの作物の出来を見張らせる場所だった。
・お土産屋さんはココが一番安い。
屋根がカラフルなのは色々諸説がある。
  1:昔から航海船の使い残ったペンキを再利用していたから
   2:雪が降っても船や飛行機から町をすぐ探せるようにするため。
  3:冬が長く、日も短いので鬱になる人が多い。家々の屋根や外壁をカラフルに塗って気分を高揚させた。

 

アルマス広場

・中央に大砲に足をかけたマゼラン像がある。
・マゼランの足元にいるのは先住民族のアラカルフ族とテウエルチェ族。
征服者と被征服者の立場を表す。ブラウン・メナンデス寄贈。
・腰掛けたアラカルフ族の足に触れると無事に航海を終えることができる/幸福になる、との言い伝えがある。多くの人が手で拭いてからキスするので、そこだけが色がはげてツルツルになっている。
・アルマス広場を囲むように立っているのは4つの名家(ロシアのブラウン家、スペインのモンテス家、メネンデス家、フランスのブランチャル家)の邸宅。1892年建設

 - チリ, 中南米