世界食べ尽くしの旅 

世界のグルメ、観光名所、世界遺産、色々な世界の情報を詰め込んだブログ

サモア独立国とはどんな国なのか、南太平洋のサモアに関する色々な情報

      2021/06/15

南太平洋に浮かぶサモア独立国。ご近所にあるフィジーやタヒチは知名度も人気もあります。なのにサモアに関しては何故だか殆ど知られていません。訪れる観光客が少ないので、観光地ズレしていない素朴な国でとても気に入りました。サモアのツアーガイドさんから聞いた為になる話をまとめてみました。

サモア独立国とはどんな国なのか

IMG_1980
サモア独立国とは南太平洋(オセアニア)に浮かぶ島々のこと。フィジー島とタヒチ島、観光地として有名な2つの島の中間辺りに位置するのに何故かあまり知られていないイギリス連邦加盟国です。

ウポル島とサバイイ島をメインとした7つの小島からなるサモア。小さいながらも複雑でメイン島の西経171度線を境として西側がサモア独立国、東側はアメリカ領東サモアと分断されています。

住民も文化も同じポリネシア系の小さな島が政治的な理由で2つの国に分割されている何とも不思議な場所です。

サモアの治安

政治的に分断はされていますが紛争があるわけでもなく、治安わ悪くないです。ただ経済状態が悪いため、仕事の無い若者が大量に首都アピアへ押し寄せ犯罪発生件数が上がっているそうです。

サモアは一般的に「安全な国」と言われるが,マタイの権限が強いので,入域する場合は挨拶が絶対必要です。地方の住民は壁の無い家に住んでいて、凶悪犯罪は少ないです。共有感覚が強いので悪気の無い窃盗が多発したりしますがマタイに訴えれば戻る場合も多いです。

サモアのマタイ制度

サモアでは治安よりも伝統的なマタイ制度に注意する必要があります。サモアでは何事もマタイの許可が必要です。マタイの承諾なしに財産を処分したり婚姻するのは禁止されていて、入域するのでさえ挨拶が必要です。

外国人観光客に関してはマタイの許可は必要ありませんが、伝統的な指導者であるマタイの力がとても強い部族社会だという認識を必ず持ちましょう。特に宗教的な儀式に出くわした時のカメラ撮影は必ず許可を得た方が良いです。

サモアの気候

サモアの雨季となる11月から4月にかけては台風などの風の被害が多いです。蚊も大量に発生し、テング熱等の危険もあるので虫にさされないように注意しましょう。

サモアの国名

正式名は、サモア語でマーロー・サッオロト・トゥトッアタシ・オ・サモア。英語ではIndependent State of Samoa(インディペンデント・ステイト・オヴ・サモア)です。とは言え誰もがただ単にサモアと呼びます。昔は東側のアメリカ領サモア(東サモア)と区別する為に西サモアと呼ぶのが習わしでした。

サモアの国旗

赤は忠誠と勇気、白は純潔、青は愛国心と自由を表します。そして南十字星。この国が南半球に存在する象徴であるとともに、この国がニュージーランドと深い関係にあることも示しています。

ニュージーランドの国旗もそうなのですが、南十字星を構成する一つ一つの星の大きさや位置が、デザイン法によって明確に定められているそうです。

サモアの地理

ニユージーランドとハワイの中間辺り、南太平洋上に位置するサモア。ご近所さんはハネムーンの地として人気の高いフィジー島とタヒチ島です。

面積は2,935 kmで日本の鳥取県より少し小さいぐらいの大きさ。ほぼ2つの大きな島、サバイイ島(面積1,700 km)とウポル島(1,115 km)で構成され、この2島の間には18kmの海峡があります。人口は20万人程。首都はアピアで5万人の人たちが住んでいます。

サバイイ島
サモア最大の島で、ニュージーランド、ハワイを除いてポリネシアで最大の島。島は海底から隆起した溶岩に覆われた大量の玄武岩によって構成されています。活火山の島で最高峰は標高1,858mのシリシリ山。

ウポル島
海底火山による玄武岩によって構成された島。国の人口の大半が住む、首都アピアがある島。

サモアに関する雑学

サモアのカバ

カバとは酋長会議や客人のもてなし、冠婚葬祭などの始まりに催される厳粛なセレモニーの事。作法が複雑な為「南太平洋の茶道」とも呼ばれ、フィジーやトンガでも行われる。

胡椒科の草木の根を乾燥させて細かく砕き、タノアと呼ばれる大きな木鉢の中で水と混ぜて作る飲み物。薄茶色の濁り水のようで、アルコール成分、カフェイン成分は全くなく、飲んだ時舌先にピリッと感じる程度で強い味はない。

インスタントパウダーも売られ、ドイツに肝臓の妙薬として輸出されていたが、2000年に肝臓に悪影響があるとしてドイツ、英国、フランスが輸入を禁止、続いてEU、北米、日本も輸入を禁止した。その後スコットランドやルクセンブルクの癌性物分子研究所により抗癌作用が確認され、国際カヴァ委員会では欧州の輸入解禁を求め活動を始めている。

肥満体質

サモアの人口の8割以上が肥満体です。ポリネシア人達は元々太りやすい体質です。それに加えて、サモアでは太っている方が美しい、素晴らしいと評価されていました。

最近では教育やテレビの普及で、健康的である事、そしてダイエットがブームとなっています。若者は細い子が多いのですが結婚するとすぐ大きくなる、との事でした。

自動車の通行方式を右から左へ変更

2009年に通行方式を変更しました。左側通行のオーストラリアやニュージーランドが地理的に近いため、それらの国から右ハンドルの中古車を輸入する方が低コストになるということが大きな理由だそうです。

日付変更線の西側へ移行

20111230日をとばして31日としました。オーストラリアとの時差を少なくするためで、119年ぶりに自国の標準時を日付変更線の東側から西側に移しました。それによって世界で最も早く日付が変わる国のひとつとなりました。

サモア沖地震

2009年9月29日アピアの南方約195kmを震源として、マグニチュード8.1の地震が発生しました。ウポル島南部を約10mの津波が襲うなどの被害が生じ、183人の犠牲者が出ました。

サモアの経済

サモアの経済を支えているのは国外に出たサモア人家族の仕送りです。ニュージーランドやアメリカには国内人口よりも多くのサモア人が移住していて、サモア国内に残る家族に仕送りをしています。輸出品は殆どなく、経済活動のほぼ全てが自給自足用です。

サモアの教育

5歳から15歳までが義務教育。識字率は97%。男女間の差が激しいです。

サモアの民族

サモアの国民は、9割以上がポリネシア系のサモア人。混血が7%程度、1%に満たない程度のヨーロッパ人がいます。

サモアの習慣

食事は、客や主人(男)が先に食べます。その間、若者や子供達は蝿を追ったり飲み物を用意したりで、幼児を除き食物を口にすることはありません。食事が終わり残った食べ物を子供たちが食べます。

肝っ玉母さんが多い

男女間の不平等が大きいサモアですが女性の立場は強いです。特に母親。多くの子供を産み、とても厳しくしつけます。家事を子供たちに割り当て、母親は女王蜂のように肥満して君臨するのだそう。

サモアの言語

公用語は、サモア語と英語。住民はサモア語で語り、公文書もサモア語である。学術的文書や記録は英語を使用する。

サモアの宗教

宗教は、キリスト教が97%である。メソジスト30% 合同教会30% カトリック20% モルモン教15% その他5%。

サモアの政治

議会は一院制で、サモア語でFonoと呼ばれます。議員の定数は49名、任期は5年です。そのうちの47名は、サモアの伝統的指導者層である首長(マタイmatai)から選ばれます。残りの2名は欧米系などの移民の代表が選ばれます。

オ・レ・アオ・オ・レ・マーロー(国家元首)の任期は5年。立法議会による選挙で選ばれるとされていますが、実際にはサモア社会で特別に高い権威を有する4家の大酋長(タマ・ア・アイガ)から選ばれるのが当然とみなされています。タマ・ア・アイガは特定の家系による世襲制。

サモアの歴史

紀元前1000年頃にはウボル島に人が住んでいた。
1722オランダ人の探検家ヤーコプ・ロッヘフェーンに確認される。
1768年 – フランス人航海者ルイ・アントワーヌ・ブーゲンビルが上陸する。
1828年 メソジスト派の宣教師が初めてサモアに上陸
1860アピアが捕鯨船の補給港として栄え、ドイツ、イギリス、アメリカが勢力を競う。
1892日付変更線の西側からアメリカ合衆国と同じ東側に移行、UTC-11となった。
1899ドイツが西サモアを領有し(ドイツ植民地帝国)、アメリカが東サモア(現在のアメリカ領サモア)を領有する。
西サモアでは、このころ第1次マウ運動と呼ばれる独立運動が起きる。
1919ニュージーランドを施政権者とする国際連盟委任統治領となる。
1919スペインかぜの流行で人口の22%を失う。
19262次マウ運動の勃発。
1929ニュージーランド軍がサモア人群衆に発砲し、4人の大首長(タマ・ア・アイガ)のひとりトゥプア・タマセセ・レアロフィオアッアナ2世が死亡する(黒い土曜日事件)。
1945国際連合信託統治領となる。
1962独立。国名「西サモア」。
1970イギリス連邦に加盟。
1997国名を現在のサモア独立国に変更。
200997日 – 自動車の通行方式(対面交通)を、右側通行から左側通行へ変更

 - まとめ記事, 世界の観光と文化, 北極・南極・その他