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アルメニアとアゼルバイジャン、ナゴルノ・カラバフ地域の紛争、憎しみ合う2つの国の共通項

   

戦争が身近にある国

1945年、世界中を巻き込んだ第二次世界大戦が終結しました。あれから76年の歳月が経ち、今では戦争を「歴史の中の出来事」と捉える人の方が多くなりました。私達が生きているは、幸運な事に平和を謳歌する時代です。

でも残念な事に今現在も、戦争の中で生きている人達がいます。例えばアルメニア人とアゼルバイジャン人。最近ナゴルノ・カラバフ地域を巡る争いが激化し、予断を許さない状況となっています。

アルメニアとアゼルバイジャンの紛争

アルメニアとアゼルバイジャンは、古くから南コーカサス南部に位置するカラバフ地方の領土を主張して争っています。何の変哲もない僻地なのですが、両国共に自分達の民族が発祥した地であるとの認識があります。

民族のアイデンティティを象徴する特別な場所なので、絶対に譲る事が出来ないのです。紆余曲折の末、両国がまだソビエト社会主義共和国連邦を構成していた時代、ナゴルノ・カラバフ地域は正式にアゼルバイジャンの領土となりました。

勿論反発や衝突が起こったのですが、ロシアが抑制力となり、辛うじて均衡が保たれました。ところが1991年にソ連が崩壊すると、ロシアの強力な力で押さえつけられていた両国間の争いが激化します。

1992年、アルメニア側がナゴルノ・カラバフ共和国として一方的に独立を宣言し占拠すると、それを認めないアゼルバイジャンが攻め入り全面戦争へと突入しました。1994年、アルメニアが優位となって停戦となります。

こうしてナゴルノ・カラバフ地方は、地図上ではアゼルバイジャンに属しながら、事実上は独立国家としてアルメニア系の住民が支配するようになったのです。2年間続いた戦争によって、約3万人の死者と100万人の難民が生み出されました。

憎しみ合う2つの国

アゼルバイジャンの街並み

この戦争によって、両国間の溝は更に深くなりました。特に領土を奪われた形に終わったアゼルバイジャン側に、耐え難い屈辱感をもたらしました。難民の殆どが土地を追われたアゼルバイジャン人であった事も、更なる憎悪を募らせました。

アゼルバイジャンの人達は、シャイで優しい人が多いのですが、老若男女問わずアルメニアの話になると豹変します。私はアゼルバイジャンを訪れた後に、アルメニアを旅する予定でした。

「アルメニアに行くのなら友人関係は続けられない」多くの人にはっきりと言われ、とてもリベラルだと思っていた人にすら「君がアルメニアを訪れる事を止める気はないけれど、あちらにいる間、決してメールなど送らないで欲しい。あちらで入手したものを決してこの国に持ち込まないで欲しい」と懇願されました。

出入国審査の難しさ

結局アゼルバイジャンの友人達には極秘にしてアルメニアを訪れたのですが、色々と問題の多い旅路となります。通常はアルメニアの入国スタンプがあるとアゼルバイジャンへの入国を拒否される可能性が高いので、アゼルバイジャンを訪れてからアルメニアに行きます。

両国はお隣同士ですが、国交が断絶されているので直接行き来する事が出来ません。トルコを経由地にしたかったのですが、アルメニアはトルコとも仲が悪く、全ての国境が閉鎖されています。

それでもトルコには寄らなくてはならない用事があったので、最終的にトルコからジョージアを経由してアルメニアに入国しました。その為なのか通常なら問題とならないはずのアゼルバイジャンの入国スタンプで入国を拒否されそうになりました。

担当する入国審査官や、その時の両国の情勢などによって状況が変化するので、どちらの国も訪れたいのなら、常に新しい状況を考慮して動かなければなりません。考慮して動いたとしても私のように入国を拒否される場合もあるので、本当に一筋縄ではいかない地域だと思います。

アルメニアの首都

アゼルバイジャンとアルメニアの治安

つい最近までは、散発的で小規模な衝突が起こるぐらいで、概ね平和な膠着状態が続いていました。所々に残る弾丸の跡や、爆破されて崩れた建物にはぎょっとさせられはしましたが、両国共にのんびりした雰囲気に包まれていました。

今回再び両国間の争いが激化した事を知り、終戦ではなく、あくまでも停戦であった事を思い知らされています。余りに深すぎて底が見えなくなっていた両国間の溝の中で、憎しみの火種はずっと燻っていたのです。

アゼルバイジャンとアルメニアの違い

アゼルバイジャンは人口1000万人の、石油や天然ガスに恵まれた豊かな国。殆どの人がイスラム教徒で、街の雰囲気もイスラム風。人々の顔立ちも褐色のアラブ風の人が多いです。

対するアルメニアは人口300万人の九州ほどの小さな国。これと言った産業や資源がなく、貧しい部類の国です。アルメニアはアゼルバイジャンだけでなく、反対側の国境を接しているトルコとも折り合いが悪いです。

アルメニアは強力な敵国に挟まれ脅かされながら生きる小国。そんな厳しい状況を支える拠り所となっているのが宗教です。アルメニア人は西暦301年に、世界で初めてキリスト教を国教とした世界最古のキリスト教徒。

これがアルメニア人の強力なアイデンティティとなっていて、そのため地理的にアジアに位置し、イスラム教国に囲まれてはいても、かなりヨーロッパ的な雰囲気を持ちます。人々の顔立ちも南部ロシアの人達に良く似ています。

アルメニアとアゼルバイジャンの共通項

全く異なる宗教、人種、文化、環境を持つ2つの国。でも何故か食べ物には共通点が多いです。これだけ憎み合っていて、そして宗教の違いは食べ物に大きな影響を及ぼすはずなのに、何とも不思議な現象です。

アルメニアとアゼルバイジャンの一番の共通項はワイン。両国共に「ワイン発祥の地」を主張して譲りません。コーカサス地方は古くからシルクロードの中継地として栄え、紀元前7000年頃からワインが盛んに作られていました。

イスラム教国ではアルコールが禁じられているのですが、アゼルバイジャンの人達は普通に飲みます。ドバイなども自由なイスラム教国として有名ですが、酒類の販売は外資のレストランだけ、テラス席など外から見える場所での飲酒は禁止されています。

アゼルバイジャンではテラスでワインを楽しむ人を良く見かけます。敬虔なイスラム教徒でありながら、ワインが大好きな国民なのです。両国共に今でも良質なワインの産地として有名で、国外にも輸出もしています。

ラバシュは小麦粉を水で溶いて作るペラペラに伸ばした種なしパン。肉と野菜を巻いて食べます。アルメニアではラヴァシュの無い食事は食事ではないとされるので、食卓には必ずラヴァシュが置かれます。アゼルバイジャンでは厚みのある丸いパンを主に食べますが、一緒にラヴァシュも添えられます。

そしてこのラバッシュ、アルメニアが発祥なんです。アルメニアの電波を使ったメールが送られてくるのでさえ毛嫌いするアゼルバイジャンの人達が、ラバシュは好んで食べます。食べ物に関しては寛容に黙認しているのです。美味しい、は憎しみさえも超える事が出来る。それを知って何だか嬉しくなってしまいました。

酢漬けにされた葡萄の葉でひき肉を包んで煮込んだドルマ、スパイスの効いた肉を串にさして焼くシシ・ケバブ、パリパリした薄いパイ生地の間にナッツを挟んで重ね、シロップに浸した激甘のお菓子バクラヴァ。

これらは全てトルコを代表する料理です。アゼルバイジャンは政治的にトルコとの繋がりが深く、トルコ人が多く住む国でもあるので、トルコ料理を良く食べます。そこに驚きは無いのですが、トルコ憎しの長い歴史を持つアルメニアでも、トルコ料理が広く浸透し食べられいます。

美味しいの前には、憎しみも国境も存在しない。これはとても嬉しい発見でした。アルメニアとアゼルバイジャンは気候や風土が似ているので、同じような野菜や果物が育ちます。スパイスやハーブも似通ったものを使うので、味付けも良く似ています。

同じものを食べていると、顔つきが似てくると言われます。カルシウムやビタミンなどが影響して、外見だけでなく性格だって似てくるかも知れません。同じ物を食べ続ける事によって少しづつ、それこそ細胞レベルでいいのでお互いが似通って分かり合えるようになって欲しい。

アルメニアとアゼルバイジャン。どちらの国にも素晴らしい景色と美味しい食べ物、ホスピタリティに溢れた優しい人達がいます。どちらの国も大好きだからこそ、何時の日か両国の人達が笑って共存出来る世界を見てみたい。今はただ、例え歪であったとしても、両国間に再び平和が訪れる事を願って止みません。

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