スウェーデンでホームスティ 盲目の女性の眼の代わりとなって見た美しいスウェーデン
2021/05/28
旅をしていると心が震える瞬間がたくさんある。でも私のように長い長い旅をしていると、心がどんどん不感症になっていく。あの日あの時の感覚を失わないよう、きちんと言葉で残しておきたい。だから今回はスウェーデンの盲目の女性の家でホームスティした時の思い出を書きたいと思う。
スウェーデンでホームスティする事になったいきさつ
スウェーデンはとても美しい国。特に田舎の景色が素晴らしい。でもこれと言って特別なものは何もない。ただ美しい自然がそこにあるだけ。ただそれだけの事が本当に美しい。
森があって湖がある。草が茂って、所々に花が咲いている。凛とした空気に包まれながらスウェーデンを眺めていると、何だか全てがとても愛しいものに思えてきて涙が出てくる。
この美しい国で生きている人達はどんな物を食べているのだろう。好奇心が湧いてきた。知り合いが誰もいなかったから町中にあるスーパーマーケットの掲示板に広告を出してみた。
「私は日本からやって来たフードライターです。初めてスウェーデンを訪れました。あなたの国は本当に美しいです。このおとぎのような国に住む人達が何を食べているのか知りたいです。あなたの食卓を覗かせてくれませんか?」
メールアドレスを記入し、目立つように折鶴でデコレーションしてスーパーマーケットの掲示板に貼ってみた。成功するとは思わなかった捨て鉢な作戦。でも奇跡的に何人かのスウェーデン人達がコンタクトを取ってくれた。
アグネスさんもそのうちの一人。とても印象的なメールをくれて、忘れる事の出来ない素敵な経験をくれた。アグネスさんは眼が見えない。重度の糖尿病が原因で14歳の時に全盲となってしまった。そんな彼女がこんなメールを私にくれた。
「こんにちは。あなたのメッセージを読みました。正確に言えば読んでもらいました。私は盲目です。若い時に全盲になりました。あなたが言うようにスウェーデンは美しい国です。あなたにもっと私の大好きなスウェーデンを見せてあげたい。でも一つお願いがあります。あなたの目に映るスウェーデンを私に言葉で伝えてくれませんか。日本人であるあなたの目にスウェーデンがどう映るのか知りたいです。あなたはライターだから言葉にするのは得意でしょう?」
最初は少し戸惑った。スウェーデンの美しさをきちんと表現出来るか不安だったから。でも直ぐに思い直した。アグネスさんが求めているのは私のポエムではない。彼女は私の目に映ったスウェーデンを知りたいだけ。だから私は見るもの全てを正確に伝えていけばよいだけ。
「メールをありがとうございます。上手に言葉に出来るのか少し不安だけれど、私がアグネスさんの目の代わりになります。アグネスさんに私が見るスウェーデンを全て伝えたいです。」
スウェーデンのお袋の味をIKEAで満喫する
メールで指定されたお宅へ行き、ドアベルを鳴らすとヘルパーの人に付き添われたアグネスさんが玄関で待ち構えていてくれた。
「はじめまして。私がアグネスよ。もちろん言われた通りにお腹を空かせて来たわよね?」
そう言って屈託のない笑い声を家中に響かせる。つい私もつられて笑ってしまう、そんな感染力の強い笑い声。
「もちろんです。今日は朝から何も食べていません。お腹がペコペコです。」
「素晴らしいわ。良い子ね。さぁ、行きましょう。」
そう言ってアグネスさんは私を車の方へと誘導する。
「あなたスウェーデン人が何を食べているのか、スウェーデン料理が何なのかを知りたいのよね?これ以上相応しい場所はないって所に案内するわ。きっとあなたも良く知っている場所よ。」
連れて行ってくれたのはIKEA。スウェーデンでは毎日12時半まで食べ放題のブランチメニューを提供している。
「スウェーデンのお袋の味を知りたかったらIKEAに行かないと駄目なのよ。スウェーデンは共働きの家庭が基本なの。だから子供たちは残念ながら手作りのミートボールでは育たないの。皆IKEAの冷凍ミートボールで育つのよ。」
そう言ってアグネスさんはまたあの感染力の強い笑い声をIKEA中に響かせる。あぁ、私、この人が大好きだ。アグネスさんの魅力に完全にノックダウンされた瞬間だった。
美しいスウェーデンをなぞっていく私たち
こうして私のスウェーデンでのプチホームスティが始まった。アグネスさんは色々な場所に私を連れて行ってくれた。何処も美しい場所ばかりで、どうやってその美しさを言葉にする事が出来るのか、とても苦労した事を覚えている。自分のボキャブラリーの少なさを不甲斐なく思ったのを今でも覚えている。
森の緑の色の違い。湖にキラキラ反射する光の美しさ。黄緑色の細長い葉っぱの中で風が吹く度にチラチラ見え隠れする赤い花。切れかけの電球みたいに最後の力を振り絞って輝いている夏の終わりの太陽。
私の目に入り込んできたスウェーデンを片っ端から言葉にして伝えた。アグネスさんは私の一言一言に頷いて、涙を浮かべながら嬉しそうに言った。
「私が子供だった頃、世界はカラフルな色で溢れていた。今では真っ暗。でも子供の時に見たスウェーデンをまだ覚えているの。所々の記憶が欠けていて。でも今、あなたが言葉にしてくれて、ジグソーパズルのように全てのパーツが揃っていく感じ。」
私は出来るだけ色にこだわって、あの美しいスウェーデンの、終わりかけの夏を描写していった。
「あぁ、私のスウェーデンが色を取り戻していくわ。この場所、何も変わってないのね。あの時のまま、あの美しいスウェーデンのまま。あの時のままの姿で私の大好きなスウェーデンを貴方に見せる事が出来て本当に嬉しいわ。」
残念ながら昔とは変わってしまった場所もあった。例えばアグネスさんが子供だった時、お姉さんと花冠を作って遊んだお花畑。今では可愛らしい一軒家が建てられていた。アグネスさんはそんな新しい変化も楽しく受け止める。
アグネスさんが頭の中でイメージをきちんと組み立てられるように、見えるもの全てを言葉にしていく。
窓枠は木製で緑色のペンキが塗ってあります。アグネスさんのお母さんの家の窓枠よりもっと濃い緑。カーテンはレース、少し日に焼けた白。手作りだと思う。レースの隙間から薄い青のクリスタルの花瓶にいけた赤いバラが見えます。少し枯れかけているけど大切にされている感じ。きっと誰かからのプレゼントだと思う。いいなぁ。
そんな私の言葉を頼りにアグネスさんは想像力を一生懸命働かせて、頭の中にその新しい家を組み立てていく。
そうやって私達は色々な場所を一緒に歩き廻った。そうやって私達はアグネスさんの記憶にあるスウェーデンを次々にアップデートしていった。
アグネスさんと一緒になぞった、あのキラキラと美しく輝くスウェーデンの夏を、私は絶対忘れない。