【2026最新】イースター島のモアイ像:謎・歴史・行き方を徹底解説!日本との意外な関係とは?

チリのイースター島でモアイ・ツアーの通訳として働いていた時の、博識のガイドさん達によるモアイに関する素晴らしい説明をまとめてみました。モアイは何故、どのようにして作られたのか。そして意外にも、モアイと日本はただならぬ関係にあります。

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絶海の孤島、チリの世界遺産「イースター島(ラパ・ヌイ)」の基礎知識

南太平洋に浮かぶイースター島は、人が住む土地としては地球上で最も孤立した場所。一番近くの人の住んでいる大陸(チリ)は3,700kmの彼方にあり、最も近い無人島ですら400kmも離れているからです。この絶海の孤島イースター島を世界的に有名にしたのが、謎に包まれた巨石文明モアイ (Moai) の存在。

周囲60kmしかない小さな島に、1000体以上のモアイ像があります。最大のモアイは高さ22メートル、重さは何と180トン。これほど巨大で沢山のモアイ像を、イースター島の人達は何故、何処で、どのようにして作り、どう移動させたのでしょうか。さらには、全て同じようにみえるモアイですが、実は1つ1つ異なります。

【2026年最新アクセス情報】
日本からイースター島(マタベリ国際空港:IPC)への直行便はありません。一般的なルートは、チリの首都サンティアゴ(SCL)を経由する方法です。
サンティアゴから:LATAM航空が毎日運航しています。所要時間は約5時間半〜6時間です。
タヒチから:パペーテ経由の便もありますが、運航スケジュールが不定期な場合があるため確認が必要です。
※2026年現在、入島には「往復航空券の提示」「Sernatur認定の宿泊予約」「入島フォームの登録」が厳格に義務付けられています。

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【謎の解明】なぜモアイ像は建設されたのか?その目的と歴史

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イースター島の歴史は、口承によって伝えられてきました。そのため文献が殆どなく、長い間モアイ像は大きな謎に包まれていました。近年の科学的な調査により、モアイの台座から数多くの人骨が発見され、イースター島のモアイは墓標的な役割で作られ始めた事が判明します。

イースター島で族長が亡くなると、族長に似せたモアイ像が作られました。モアイ像は亡くなった族長や英雄を敬うために、各個人を具象化したものなのです。先祖を祀ると同時に、モアイ像には村を守る守護神的な役割もありました。

モアイの目には、マナと呼ばれる強力な精霊の力が宿るとされています。そのためイースター島にあるモアイの全てが、海を背にして集落に顔を向ける形で配置されています。モアイ像は天と地を繋ぎ、先祖達と共に集落を見守る役割で作られたのです。

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年代と共に巨大化するモアイのサイズ変遷

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モアイは3等身で、サイズ配分は、頭が1/3、体が2/3。モアイの材質は無機物の石なので、放射線炭素測定ができません。そのため正確な年代を判定するのは不可能ですが、大きくなるほど年代が新しいです。

先祖崇拝を目的に作られたモアイですが、島の人口が増加すると部族が分かれ、時代が進むにつれ部族の権力の大きさを象徴するようになりました。より大きなモアイを作る事で、他の部族に対抗するようになったのです。

イースター島では1000年の長きに渡ってモアイ像が作られ続けたので、その長い年月の間に部族間の競い合いも激しくなり、技術の発達もあったので、時代と共にモアイ像はどんどん巨大化していきました。

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モアイ製造工場「ラノ・ララク」の秘密

イースター島にある98%、ガイドによっては90%のモアイ像が、ラノ・ララク(Rano Raraku) で作られました。どうしてなのでしょうか。ラノ・ララクとはイースター島南東部にある火山の噴火口跡で、モアイ像を製造していた石切り場を意味します。

巨大なモアイ像は、岩山の岩肌から切り出して作られます。モアイ像を作るにあたって、島にある色々な岩が試されました。ラノ・ララクの岩は凝灰岩です。凝灰岩とは火山から噴火された火山灰が地上や水中に堆積してできる岩石。

凝灰岩には水を吸うと柔らかくなり、細工しやすくなる性質があり、それでいて強度も充分ありました。イースター島では鉄が採れないので、島で一番固い物質は玄武岩。モアイ像もこの玄武岩で作られたノミを使って、岩山から切り出します。

玄武岩のノミでも一番掘りやすかったのが凝灰岩で、ラノ・ララクは島で唯一の凝灰岩が採れる場所であったので、この場所でモアイ像が作られるようになったのです。

【観光アドバイス】
ラノ・ララクはイースター島観光のハイライトです。国立公園チケットが必要ですが、ラノ・ララクとオロンゴ儀式村に入場できるのは1回の滞在につき1度きりというルールがあります(2026年現在)。必ず天気の良い日を選んで訪問しましょう。
また、遺跡内には日陰がほとんどありません。帽子、サングラス、十分な飲料水(1リットル以上)を持参してください。

▼イースター島(ラパ・ヌイ)国立公園チケット購入
※チケットはオンラインでの事前購入が推奨されています。必ず現地到着前に購入を済ませておきましょう。

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イースター島のモアイの作り方と工程

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モアイ像はとにかく巨大なので、作るのは大変な作業です。例えば4~6mサイズのモアイを作るにに、15~20人の人達が毎日働いて、1~2年かかったとされます。モアイの作り方は、次のような流れです。

1 ラノ・ララクの岩山の岩肌に、注文通りの大きさになるように、モアイの大まかなサイズの印をつけます。

2 モアイを顔から掘り始めます。このためラノ・ララクには岩肌に顔だけがはっきり掘られたものもあり、大変興味深いです。

3 モアイの前面が完成したら、岩から切り離す準備をします。

4 まずは頭を切り出します。頭は心臓よりも大切とされていました。理由は天に近く「マナ=聖なるパワー」を集めやすいからです。なのでモアイに関しては、何事も頭が優先です。

5 モアイの側面を切り出します。

6 モアイの背面に頭上から腰にかけて横向きに穴をあけ、木の杭を打ち込みます。その杭に水をかけて膨張させ、割れ目を入れて徐々に切り離します。同時に前からロープで引っ張り、後ろに小石を積み上げ支えながら、モアイを少しづつ切り離しました。

7 切り離したモアイを山の斜面を使って滑り落とし、事前に掘っておいた穴に垂直に立てます。この状態で顔や耳などを仕上げ、タトゥーを描いたペテログリフ(岩石線画)を施します。

8 出来上がったモアイを移動させます。(方法については諸説があり、下記で詳しく説明します。)

9 モアイが置かれる予定の場所には、既にアフと呼ばれる台座が作られているので、その上にモアイ像を置きます。

10 最後の最後に目を入れます。目を入れる事で初めてマナが宿るとされるので、目を入れるまでのモアイの扱いは結構ゾンザイです。なので運搬途中で壊れたモアイなどは、そのまま捨て置かれました。

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悲劇の歴史「モアイ倒し戦争(フリ・モアイ)」

イースター島には約1000体のモアイ像があるのですが、殆ど全てが倒れています。かつてのようにきちんと立っているモアイ像は島全体で40体ほど。その全てが20世紀以降、日本をはじめ各国と地元の人達が協力して立ち上がらせました。

これほど巨大で数多くのモアイ像が、どうして全て倒れていたのでしょうか。かつてのイースター島は、ヤシの木が島全体を覆うように生い茂っていました。権力の誇示からモアイ像が沢山作られるようになると、モアイの運搬などで大量のヤシの木が伐採され、終には無くなってしまいます。

ヤシの木の森が消滅すると、土地が痩せて作物が育たなくなり、食糧が不足するようになります。結果、仲良く平和に暮らしていた島内の部族の間で、戦いが生じるようになりました。

部族間で抗争が始まると、権力の象徴であったモアイが標的となります。マナの力を破壊して相手部族の士気を奪うために、勝利した部族が負けた側のモアイ像を倒す「フリ・モアイ」と呼ばれる戦争が激化したのです。

こうして1840年頃には、島にある全てのモアイが倒されてしまったのです。倒されたモアイはそのまま放置され続けました。そして1960年に計器観測史上世界最大となる、マグニチュード9.5のチリ地震がイースター島を襲います。

倒されていたモアイ像、とくに海沿いにあったモアイたちは、地震による津波で流され破壊され、埋もれてしまいました。

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日本企業が救った15体のモアイ「アフ・トンガリキ」

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日本とイースター島とモアイには、実はとても深い繋がりがあります。イースター島に数あるモアイ像の中で、一番有名なのがアフ・トンガリキにあるモアイ群。アフ・トンガリキはイースター島だけでなく、ポリネシア文化圏最大の宗教儀礼の場所です。

220mある祭壇の上には、左から順番に古くなる、15体のモアイ像が立ち並びます。アフ・トンガリキのモアイ達も、モアイ倒し戦争で倒され、そのままの状態で放置されました。更には1960年のマグニチュード9.5のチリ沖地震によって流されてしまいます。

そんな壊滅的な状況であったモアイ達を救ったのが、日本のクレーン会社タダノ建設さん。TV番組の世界不思議発見で「クレーンがあれば、モアイを元通りにできるのに」とイースター島の知事が訴え、それを偶然見ていたタダノの社員が社長にかけあったのだそう。

タダノ建設は2台の大型クレーンを寄付しただけでなく、莫大な支援金も出して1991年から4年の歳月をかけてアフ・トンガリキの15体のモアイ像を立ち上がらせました。

島内最大規模のモアイ群が立ち起こされた事がきっかけとなり、イースター島は世界遺産に登録され、多くの観光客が世界中から訪れるようになります。こうして島の経済が大いに潤ったので、イースター島の人達はかなり日本人びいきです。

アフ・トンガリキ遺跡の入り口には、日本を訪れた事のあるモアイ像も立っています。1982年の大阪万博の際に来日したモアイで、島の人達は「イースター島内で唯一パスポートを持つモアイ」と呼んでいます。

【必見!朝日鑑賞のススメ】
アフ・トンガリキは島内最高の日の出(サンライズ)スポットです。15体のモアイの背後から太陽が昇る光景は神々しく、一生の思い出になります。
夏(1月〜3月)の日の出は朝7:30〜8:00頃、冬(6月〜8月)は朝8:30頃と遅めです。ハンガロア村から車で約30〜40分かかるため、早朝に出発できるようレンタカーやツアーの手配をしておきましょう。

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モアイ像の体型・特徴と「入れ墨」の意味

イースター島のモアイは、族長などのエリート達がモデルとなっているので、よくよく観察するとお腹がぽっこり出た、だらしない体形をしています。そして爪が異常に長い。沢山食べる事ができ、働く必要がないので爪が伸び切っている富裕層の特徴を大変良く表しています。

イースター島の先住民達は耳を伸ばす習慣があったので、耳が長いモアイ像が多いです。モアイの胴体にも注目して下さい。入れ墨を模したペテログリフ(岩石線画)が施されています。入れ墨はポリネシア文化圏でとても重要なもの。

例えばイースター島と同じ文化圏のニュージーランドのマオリ族は、体の左半分に母方、右に父方、真ん中に自分の地位を示す入れ墨を入れました。今でいう履歴書のようなものです。

イースター島のモアイの胴体に刻まれた彫刻も、正式には解明されていませんが、マオリ族と似たような各個人の履歴書のような意味合いを持ち、モデルとなった本人と同じ入れ墨が描かれたとされています。

モアイ像は全て同じように見えますが、きちんと注目して見ると、頭や顔の形が作られた年代によってかなり異なります。モアイ像が作られた時代の判断材料となるので是非注目してみて下さい。

700年頃→頭の形がまるびを帯びていて左右対称の目を持つ

800年頃→耳が小さい

1000年頃→顔が台形で耳が小さい

1200年頃→四角い顔

17世紀頃→長方形の顔、長い耳

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当時、モアイ像の値段はどれくらいだったのか?

イースター島にはモアイを作る専門の部族がいました。各村からモアイ制作の依頼を受けると、その部族達がラノ・ララクへ赴きモアイを製造します。大きな労力を必要とするモアイのお値段は、かなりの額だったとされます。

モアイ製造の引き換えは、お金ではなくタロイモなどの食物でした。十分な食べ物を用意出来ない部族はモアイを持つことが出来ず弱い部族とされてしまうので、どの部族も必死になって農作物を用意したといいます。

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【諸説あり】巨大なモアイ像をどうやって運んだのか?

モアイの運搬方法には色々な説がありますが、イースター島のほとんどの人達が先祖代々「モアイは聖なる力で歩いた」という物語を聞かされて育っています。だからガイドさん的にもその説が一押しなのだそう。

モアイの動かし方:推測1

モアイを寝かせた下に丸太を置き、綱で引っ張って転がして運んだ

この説はイースター島が、かつては椰子の木で覆われていた事が証明されてから強く主張されるようになりました。モアイの過剰な製作が、島の天然資源を枯渇させたという説とも辻褄が合います。

モアイの動かし方:推測2

立たせた状態のモアイに縄をかけ、両脇から交互に引っ張るようにして動かした

モアイの顔の溝にロープをくくりつけ、立った状態で目的地まで動かしたという説。これは寝かせて移動させるより効率が良い事が確認されています。

更にはモアイは重心が真ん中にあるので倒れにくく、底は平面ではなく曲面になっているので、引っ張って動かしやすいのだそう。推測2の方法を使うと、モアイ像がまるで自身の力で歩いているような感じになります。

学説的には推測1の説が強いのですが、島の人達は断然推測2を支持しています。実際に推測2の方法を使って、4mのモアイ像のレプリカを動かした映像がYOUTUBEにあがっています。イースター島出身のガイドさんなら、嬉々としてそれを見せてくれるかと思います。

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なぜモアイ像には「目」がないのか?

モアイ像には目がありません。ところが1978年に粉々になったモアイの目が発見され、実は全てのモアイに目が入っていた事が判明しました。では何故現在のイースター島のモアイには目がないのでしょうか。

目にはマナと呼ばれる神聖なパワーを持つ霊力が宿るとされ、モアイにとってとても重要な意味合いを持ちました。だからこそ部族間抗争がフリモアイと呼ばれるモアイ倒し戦争へと発展した時、まず最初に徹底的に破壊されたのがモアイの目だったのです。

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世界で2つしかない「目が入った」貴重なモアイ

モアイの目の白い部分は白珊瑚、黒目は赤みを帯びた凝灰岩を使って作りました。現在、モアイ像の目は全て粉々にされ実存しないのですが、一つだけ現存しイースター島にある博物館で保存されています。

そしてイースター島内にはレプリカではありますが、目の入ったモアイが存在します。ハンガロア村から徒歩圏内にあるアフ・コテリク(Ahu Kote Riku) のモアイ像です。島内ではこのモアイが唯一の目入りなので、絶対に見逃さないようにしましょう。

実は世界にはもう一つ目の入ったモアイが存在します。興味深いことに日本の宮城県南三陸町にあります。南三陸町は1960年のチリ地震以来、チリと友好関係を結んでいたのでモアイ像を置いていました。

ところが東日本大地震による大津波で、そのモアイ像が流されてしまいます。それを知ったチリから、震災復興のシンボルとしてプレゼントされたのが、現在南三陸町にある目入りのモアイ像です。

世界ではじめてイースター島で作られたモアイ像が贈られたのが南三陸町。多大な犠牲を出した南三陸町を、マナの神聖な力を宿したモアイが末永く見守る事ができるように、あえて目入りのモアイ像をプレゼントしたのです。

【夕日スポットとしての「アフ・コテリク」】
アフ・コテリクがある「タハイ儀式村」は、島内で最も美しい夕日(サンセット)スポットとしても有名です。ハンガロア村から歩いて行けるため、夕食前に散歩がてら訪れるのがおすすめです。海に沈む夕日と、目の入ったモアイのシルエットは感動的です。

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モアイ製造工場ラノ・ララクの見所と注意点

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モアイ像の製作現場ラノ・ララクには397体のモアイが転がっています。島全体にあるモアイ像が1000体なので、その半分近くがラノ・ララクに集中していることになります。ラノララクの景色は本当にシュールレアリスム。

視界の中にモアイ像がゴロゴロ転がる様は正に圧巻の一言です。でもラノ・ララク一番の見所は、何と言っても製造途中のモアイ像を観察出来ることだと思います。「モアイは宇宙人によって設置された」なんて言う人もいますが、ラノ・ララクを訪れれば、この巨大な像が人の手によってコツコツと岩から切り出されて作られていた事が理解出来ます。

800年間に渡って巨大なモアイ像を切り出してきたので、岩山が不思議な形に変形しているのも感慨深いです。ラノララクには運搬に失敗して破損(破壊)したとされるモアイも散在しています。目にするモノ何もかもがシュールで興味深い、それがラノ・ララクです。

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モアイの頭に載っている「プカオ」の正体

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後期のモアイは頭の上にプカオを乗せています。プカオは帽子のように見えますが、当時のイースター島民がしていた髪型、長い髪を結った姿を表現しています。プカオが大きければ大きいほど、髪の毛が多かった=健康だった、又はより年長者だったとされています。

当時のイースター島の男性達は、髪を赤く染めていたので、プカオには赤みのある凝灰岩を使いました。円柱の形に石を切り出し、転がして移動させ、モアイの上にのせる直前に最終調整をしました。運搬途中で削られて小さくなっても大丈夫なように、大きめに切り出したのだそう。

【プカオの石切り場「プナ・パウ」】
赤い石の帽子「プカオ」だけが切り出された石切り場「プナ・パウ(Puna Pau)」も観光可能です。ハンガロア村から内陸へ少し入った場所にあり、ゴロゴロと転がる赤い岩を見ることができます。

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モアイだけじゃない!イースター島の魅力とまとめ

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