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イースター島のモアイ像は、何処でどう作られたのか。モアイ製造工場ラノ・ララクの見所

      2021/10/19

チリのイースター島で通訳として参加したモアイ巡りツアーのガイドさんの、モアイを製造していたラノ・ララクと呼ばれる石切り所に関する解説をまとめました。巨大なモアイ像はどのようにして作られたのか、モアイの運搬方法なども解説します。

イースター島のモアイ像は何故作られたのか、そしてなぜ倒されたのか。モアイに関する基本的な情報は、別記事で詳しくまとめてあります。こちらを先に読んだ方が、イースター島とモアイの関係をより深く理解出来ると思うので、リンクを貼っておきます。

モアイは何処で作られたのか

イースター島と言えばモアイ像。この巨大な石の像はラノ・ララク (Rano Raraku) で作られました。ラノ・ララクとはイースター島にある火山の噴火口で、モアイを製造していた石切り場の事です。

イースター島にある98%(ガイドによっては90%)のモアイ像が、ラノ・ララクで作られました。どうしてなのでしょうか。モアイ像は岩山から切り出して作られます。モアイ像を作るにあたって、島にある色々な岩が試されました。

ラノ・ララクの岩は凝灰岩です。凝灰岩とは火山から噴火された火山灰が地上や水中に堆積してできる岩石です。凝灰岩には水を吸うと柔らかくなり、細工しやすくなる性質があります。それでいて強度も充分でした。

イースター島では鉄が採れません。島で一番固い物質は玄武岩でした。モアイ像もこの玄武岩で作られたノミを使って、岩山から切り出すように作ります。ラノララクの岩は、玄武岩のノミでも大変掘りやすかったので、ラノ・ララクでモアイ像が作られるようになりました。

イースター島のモアイ像のお値段

イースター島にはモアイを作る専門の部族がいました。各村からモアイ制作の依頼を受けると、その部族達がラノララクへ赴きモアイを製造しました。研究者がモアイ製造当時と同じ条件と環境でモアイを作る実験をしたところ、6mのモアイを製造するのに1年を要しました。

それだけの労力を必要とするモアイのお値段は、かなりの額だったとされます。モアイ製造の引き換えは、お金ではなくタロイモなどの農作物でした。十分な農作物を用意出来ない部族は、モアイを持つことが出来ず、弱い部族とされてしまうので、どの部族も必死になって農作物を用意したのだそう。

モアイ製造工場ラノ・ララクの見所

ラノララクには397体のモアイが現存します。島全体にあるモアイ像が1000体なので、その半分近くがラノ・ララクに集中しています。ラノララクの景色は正にシュールレアリスム。視界の中にモアイ像がゴロゴロ転がる様は正に圧巻の一言です。

でもラノ・ララク一番の見所は、何と言っても製造途中のモアイ像を見る事が出来る事だと思います。「モアイは宇宙人によって設置された」なんて言う人もいますが、ラノ・ララクを訪れれば、この巨大な像が人の手によってコツコツと岩から切り出されていた事が理解出来ます。

800年間に渡って巨大なモアイ像を切り出してきたので、岩山が不思議な形に変形しているのも感慨深い。ラノララクには運搬に失敗して破損(破壊)したとされるモアイも散在しています。目にするモノ何もかもがシュールで興味深い、それがラノ・ララクです。

モアイ像の年代の見分け方

モアイは3等身で、そのサイズ配分は、頭が1/3、体が2/3です。モアイ像は大きくなるほど年代が新しく、顔の形は作られた年代によって異なります。モアイが作られた時代の判断材料となるので注目してみて下さい。

700年頃→まるびを帯びていて左右対称の目

800年頃→耳が小さい  

1000年頃→顔が台形で耳が小さい

1200年頃→四角い顔

17世紀頃→長方形の顔、長い耳

ラノ・ララクでのモアイ像の作り方

1 注文通りのモアイの大まかなサイズを測ります。

2 モアイの顔から掘り始めます。

3 モアイの前面が完成したら、岩から切り離す準備をします。

4 まずは頭を切り出します。頭は心臓よりも大切とされていました。理由は天に近く「マナ=聖なるパワー」を集めやすいからだとされています。なのでモアイに関しては、何事も頭が先です。

5 モアイの側面を切り出します。

6 モアイの背面の頭上から腰にかけて横向きに穴をあけ、木の杭を打ち込みます。その杭に水をかけて膨張させ、割れ目を入れて徐々に切り離しました。同時に前からロープで引っ張り、後ろに小石を積み上げ支えながら、モアイを少しづつ起こしたとされます。

7 切り離したモアイを山の斜面から滑り落とし、掘っておいた下の穴に垂直に立てます。この状態で彫刻の詳細な仕上げ(耳、肩、首、背中など)が行われました。

8 出来上がったモアイを移動させます。(方法については諸説があるので下記に詳しく書きます)

9 指定された場所には既に台座(アフ)が作られているので、そこにモアイ像を置きます。

10 最後の最後に目を入れます。目を入れる事で初めてマナが宿るとされるので、目を入れるまでのモアイの扱いは結構ゾンザイです。なので運搬途中で壊れたモアイなどは、そのまま捨て置かれます。

モアイ像をの運搬方法

モアイの運搬方法には色々な説があります。ただイースター島には文献という物が残されていないので、全ては物語として口承で伝えられてきました。イースター島の殆どの人達が「モアイは聖なる力で歩いた」という物語を聞かされて育っているので、ガイドさん的にもその説が一押しなのだそう。

推測1:モアイを寝かせ、下に丸太を置き、ローリングして運んだ。

推測2:モアイを立たせ、両脇に支えとなる木をくくりつけ、地面と交わる点を3点つくることで、モアイが自身の重さで山を降りていくようにした。

推測3:立たせた状態のモアイに縄をかけ、両脇から引っ張るようにして動かした。モアイは顔の堀が深いので、その顔の溝にロープをくくりつけたとされます。モアイ像の底は平面ではなく曲面になっているので、引っ張っていきやすいのだそう。

推測4:木の台の下に丸太を寝かせて並べ、この台にモアイを寝かせて綱で引っ張るようにして動かした。

※現段階では推測1と推測3が一番可能性が高いとされていますが、島の人達は断然推測3支持派です。

モアイが土に埋まっている理由

イースター島でのモアイ像の製造は、様々な理由によって17世紀頃には廃れました。ラノ・ララクの石切り場もまた、製造途中のモアイと共に放置され、時間の経過に伴い、多くのモアイ像は土に埋まってしまいました。

近年、研究のために掘り起こされたモアイもありますが、保管する場所を作る資金がありません。浸食(風化)防止には土の中にある方が良しとされたので、再度モアイは埋められました。

イースター島で最大のモアイ像

ラノ・ララクにはイースター島最大のモアイ像があります。高さ21.6m、重さ180t。肩から下の部分は土の中に埋まっていますが、顔の大きさだけでその巨大さを実感できるかと思います。

イースター島内で立っているモアイ像の中で一番大きなものが11m、平均すると5m位のモアイ像が多いので、圧倒的な大きさです。製作途中で放棄されたので完成形ではありません。それでも肩から下の部分も、土に埋もれているだけで形にはなっています。

全てのモアイには名前が付けられていたのですが、現段階で名前が明らかなのは全体の僅か5%。このイースター島最大のモアイは、ピロピロと呼ばれていた事が判明しています。

イースター島唯一の足のあるモアイ像

ラノ・ララクの石切り場の一番奥には、ノルウェー人の学者が掘り出した正座をするモアイがいます。足まであるモアイ像は、イースター島でこの一体のみ。ポリネシア系民族が太平洋を渡る際、カヌーの中でとっていた姿勢を描写したとされています。

正座のモアイ像は、顔が丸いこと、首まで埋まっていたこと、その浸食度合から初期に製造されたモアイだと推測されています。バランスが取れずに運ぶことができなかったので、その後この形が採用されることはなかったとされています。

モアイに関するあれこれ

モアイ像はラノ・ララクの凝灰岩で作られますが、プカオ(モアイの頭にのっている帽子のような丁髷)は赤色凝灰岩、目の白目の部分は珊瑚(モアイの研磨にも使用)、黒目の部分には黒曜石を使用しました。

数は少ないのですが、花崗岩や赤色凝灰岩などの別の素材で作られたモアイ像も存在します。イースター島の1000体近くあるモアイ像の中で10体にも満たないので希少価値あり。赤っぽいモアイを見かけたら是非注目して下さい。

モアイだけじゃないイースター島の魅力

イースター島の魅力はモアイだけではありません。イースター島の観光名所を別記事で詳しくまとめました。とは言ってもイースター島最大の魅力はやっぱりモアイ。個性溢れるモアイ達に関しても紹介しています。

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