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チリのイースター島の観光地30選、イースター島の物価と治安と観光名所

      2022/10/13

チリのイースター島で、ガイドとして働いていました。その時に見聞きした、世界遺産の島イースター島に関する全てをまとめました。イースター島は巨石文明モアイで有名な場所ですが、モアイの他にも色々な見所があります。とは言っても一番の観光の目玉はやっぱりモアイ。少しマニアックな珍しいモアイ達も紹介します。

イースター島の名前の由来

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イースター島は5世紀頃から人が住んでいたのですが、絶海の孤島なので誰もその存在を知りませんでした。1722年にオランダ海軍によって発見され、その日がキリスト教のイースター(復活祭)だったので、イースター島と名付けられました。

スペイン語だとイスラ・デ・パスクワ (Isla de Pascua) 。発見者が勝手に付けた名前なので、島の人達は元からあるラパ・ヌイ (Rapa Nui) の名で呼んでいます。ラパ・ヌイとは先住民の言葉で「広い大地」を意味します。

日本ではイースター島の名で浸透してしまいましたが、せめて現地にいる間は本来の名前、ラパ・ヌイと呼んであげましょう。自分達の島の文化を本当に大切にしている人達なので、大変喜ばれると思います。

世界遺産のイースター島のモアイ

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イースター島では7世紀頃から1000年に渡って、数多くのモアイ像が作られました。周囲60kmの小さな島に約1000体のモアイが現存します。その半分近くはまだ製造途中で、ラノ・ララクと呼ばれるモアイを作っていた石切り場にあります。

完成し島内に配置されたモアイ像の全ては部族抗争で倒され、後のチリ地震で大破してしまいました。近年になって日本をはじめとした各国の支援により、何か所かのモアイ群が修復され立ち起こされました。

それを切っ掛けにラパ・ヌイ国立公園 (Parque Nacional Rapa Nui) として世界遺産に登録され、世界中からの観光客を集める一大観光地となりました。モアイ像だけでなく島の文化を今に伝える岩絵や住居跡なども世界遺産に含まれます。

チリのイースター島への行き方

イースター島は世界で一番の辺境の地なので、辿り着くのも一苦労。従来はチリの首都サンチャゴから国内線で訪れたのですが、かなりフライト時間がかかります。日本からチリへの直通便もないので、乗り換え回数が多いのもネック。

最近はフランス領ポリネシアのタヒチを経由するのが主流のようです。フライト時間が短くなるとは言え、日本からタヒチまで11時間かかります。タヒチからイースター島までも4,100km離れているので6時間程かかります。どのルートで行くとしても、イースター島はもの凄く遠いです。

イースター島の物価と経済

イースター島の人口は年々増えていて現在は8000人近く。島民の殆どが観光業に頼って生きています。農業や畜産は発展させる土地がなく、魚介類が豊富な地域ではあるのですが、島の周囲の海が浅く大型漁船が入れる港がないからです。

生活に関する殆ど全てのものが、3,800km離れたチリ本土から空輸されてきます。だからイースター島では何もかもが驚くほど高いです。物価の高さに加えて、島民の収入が観光客頼みなのでとても不規則です。

人口増加で限られた仕事を多くの人で奪い合う形にもなりました。そんな状況なのでイースター島では、経済的に苦しい家庭の方が多いのだそう。それでも皆さん口を揃えて、島を愛しているからイースター島を離れて暮らす事は出来ないと言い切ります。

イースター島の住民達が食べているもの

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イースター島では多くの食べ物が空輸で運ばれてきます。何もかもが高いので、島の人達は何とか自給自足でまかなおうとしています。海に囲まれているので、今も昔もイースター島の人達の食の基本は肉よりも魚。

島民はシイラ科の魚を良く食べています。全世界の暖かい海に生息し、イースター島で最も身近な魚。筋肉質で脂身が少ないので、網で焼くのではなくフライパンに油をひいて調理します。

鮮度を保持するのが大変難しい魚なので、購入したその日に内に食べるのが一番。ただイースター島の人達はシイラを良く食べますが、特別にシイラを選んで食べている訳ではありません。

通常島の人達は魚屋で魚を購入しません。近所に必ず何人か釣った魚を売って生計を立てている人がいるので、その人達から魚を購入します。釣り人がその日に釣れた魚が今日のご馳走。魚の種類を選ぶことはありません。ただ確率的にシイラが一番多いだけです。

イースター島の有名な観光地

イースター島の観光の目玉は何と言ってもモアイ像。でもモアイの他にも見るべきもの、素敵な観光名所が沢山あります。モアイがずっと続くと飽きてしまうので、モアイ以外も上手に組み合わせて観光しましょう。

イースター島で一番美しいビーチ

イースター島は断崖絶壁や岩場が殆どなので、砂浜のビーチは島内で2つしかありません。その内の大きくて美しい方がアナケナ・ビーチ (Playa de Anakena) です。白浜の美しいビーチは、観光客に限らず地元の人達からも大人気。

この美しい白浜はサンゴ礁と貝殻が衝突し粉々になってできました。イースター島には今も昔も大きな船が入れる港がありません。大型客船でやってくる大量の観光客は、沖合で小さなボートに乗り換えてこのアナケナ・ビーチに上陸します。

波の高い場所が多いイースター島ではアナケナ・ビーチが唯一の上陸できる場所。アフ・トンガリキのモアイ像を修復した大型クレーン車も、チリの軍艦から上陸用の船に乗り換えてアナケナ・ビーチに上陸しました。

イースター島に初めてやってきた人物、ホツ・マツア王が最初に踏んだのもアナケナ・ビーチの白い砂。なのでアナケナは「王の土地」の意味を持ちます。島内で唯一ココヤシの木が生い茂る場所でもあります。

イースター島に生えていたヤシの木は絶滅してしまったので、1962年にお隣の島タヒチから持って来て植えたのだそう。南国ムード抜群の、とても素敵なエリアとなっています。もちろんモアイもきちんといます。

ラノカウ火口湖

島で二番目に古い火山がラノカウ(Rano Kau)。約200万年前に噴火した跡が、周囲1600m、水面からの高さ約200m、水深12~18mのイースター島最大の火口湖となっています。

昔はこのクレーターの中で畑を作っていました。風の強いイースター島では、クレーターの中が塩気を含んだ風の影響がない唯一の場所です。タロ芋、サツマイモ、サトウキビ、トウモロコシ、マンゴーなどが栽培されていました。

現在この湖の水は島内唯一の村バンガロアまでひかれて、飲料水として用いられています。この世のものとは思えない、本当に美しい場所なので是非訪れて頂きたい。バンガロア村から歩いて1時間強の距離なので、ハイキングに最適です。

イースター島で一番の眺望

ミラドール (Mirador) はスペイン語で展望台を意味します。だからミラドールの文字を見つけたら必ず立ち寄りましょう。素晴らしい景色が待っています。イースター島では特にラノ・カウ (Rano Kau) のミラドールが感動ものでした。

オロンゴ儀式村へ向かう途中にあり、美しいカルデラ湖を一望出来ます。まるでアニメの世界で、本当に素晴らしい景色でした。イースター島を訪れたら必ず行くべき場所だと思います。

イースター島のオロンゴ岬

イースター島ではモアイ崇拝が廃れると、鳥人儀礼と呼ばれるレースで権力者を決定するようになります。島の各部族の選ばれし者が、崖を駆け下り、2km先のモツ・ニュイ島まで泳いで渡り、マヌ・タラ(軍艦鳥)が最初に産み落とす卵を持ち帰る競技です。

断崖絶壁の崖は300mあり、サメがウヨウヨいる強い海流を横切らなければならないので、まさに命がけのレース。勝者は鳥人として崇められ、その部族の長は次の年のレースまで島の実権を握る事が出来ました。

イースター島に古くから伝わるマケ・マケ神の化身とされるのが鳥人です。逃げ場のない絶海の孤島に生きるイースター島の人達だからこそ、自由に海を越えて飛んでいく事のできる鳥人を強く深く崇拝したのでしょう。それを思うと何だか切ない気分になります。

鳥人儀礼の儀式村

イースター島南西部に位置するラノ・カウ 火口の頂上に、オロンゴ (Orongo) と呼ばれる儀式村があります。19世紀中頃まで続いた鳥人儀式は毎年春に行われ、2~4週間かかりました。その間氏族の長達は、この儀式村に建てられた石の家に滞在します。

小屋の入り口は全てモトゥ・ヌイ島を向いており、儀式の様子が常に観察できるようになっています。神聖な場所なので、かつては女性と子供は立ち入りが禁止でした。今では誰でも入る事が出来ますが、指定されたコース以外の立ち入りは禁止されています。

違反すると物凄い罰金が科せられるので注意しましょう。ハンガロア村からは車で30分位の距離。儀式の際に使用されていた53個の石室の他、鳥人やマケマケ神が彫られた岩絵などが残っています。

イースター島とカニバリズム

ラパヌイ語でアナは洞窟、カイは食べる、タンガタは人を意味します。つまり食人洞窟。アナ・カイ・タンガタ (Ana Kai Tangata) と呼ばれる食人洞窟では、鳥人儀礼の敗者が生贄となり食されました。勝者が相手のマナ(霊力)を体内に取り込む大切な儀式だったのだそう。洞窟の天井には鳥人の壁画が残されています。

スペースシャトル用の滑走路

イースター島のマタヴェリ空港 (Mataveri Aeripuerto) の滑走路は、小さな島の空港にそぐわず3300mもあります。実はこれ、アメリカのNASAがスペースシャトルの緊急着陸用に巨額の資金をかけて造ったからです。

飛行機着陸用としては無用に長く、スペースシャトルが来る事も無かったので、本当に全く無用の長物。ガイドさん達の面白話のネタでのみ大活躍しています。

個性豊かなイースター島のモアイ達

イースター島は魅力多き場所ですが、観光の目玉はやっぱりモアイ像。ただどのモアイ像も似通っているので、途中で飽きてしまう人も多いかと思います。だからこそ、モアイに関する色々な情報を頭に入れてから見学しましょう。どれも同じように思えたモアイ像が、一つ一つ個性豊かに見えてきます。

イースター島内最大規模のモアイ群

1000体近くもモアイ像があると、いくら小さな島とは言え全てを見るのは不可能です。まずはイースター島のみならずポリネシア文化圏最大規模の、一番有名な観光地、15体のモアイが並ぶアフ・トンガリキ (Ahu Tongariki) を訪れましょう。

200mある祭壇の上に15体のモアイが並ぶ様は正に圧巻の一言。イースター島内で唯一、モアイの背後に登る太陽が見れる場所でもあるので、頑張って早起きして訪れましょう。

アフ・トンガリキのモアイを修復し、立ち上がらせたのは日本のクレーン会社TADANOさん。日本とイースター島は本当にただならぬ関係を持ちます。日本とイースター島とアフ・トンガリキに関する詳細は、別記事で詳しくまとめてあります。

日本を訪れた事のあるモアイ

アフ・トンガリキの15体のモアイ群の近くに、ポツンと一体のモアイが立っています。パスポートを持つモアイと呼ばれ、イースター島で唯一海外旅行の経験があるモアイです。1970年の大阪万博に招待されました。日本までの道程で破損しないよう、細心の注意と当時最上の技術が使われたのだそう。

モアイを作った場所ラノ・ララク

アフ・トンガリキのモアイ群を訪れたら、次に訪れるべき場所はラノ・ララク (Rano Raraku) です。モアイ像はこの山の凝灰岩を石の斧で削り出して作りました。ラノ・ララクでは製作途中のモアイなども見る事が出来ます。

山のあちらこちらにモアイ像がゴロゴロ転がっていて、かなりインパクトのある光景。400個ぐらいあり、一か所でこれだけ多くのモアイが見れるのはラノ・ララクだけ。ラノ・ララクやモアイの作り方、動かし方などは、別記事で詳しくまとめてあります。

イースター島最大のモアイ

ラノ・ララクにはイースター島最大のモアイがあり、ピロピロと呼ばれています。高さ21,6m。肩から下は埋まっていますが、顔の大きさが凄いので巨大さは実感できるかと思います。胴体部分は見えませんが、完成はしているのだそう。

イースター島唯一の足のあるモアイ

同じくラノ・ララクにあるトゥリトゥリと呼ばれるモアイにも注目して下さい。イースター島に一体しかない、足つきのモアイで正座をしています。かなり初期のモアイなのですが、ずっと土に埋もれていたので劣化が少ないです。

アフ・タハイのモアイと夕日

アフ・タハイ (Ahu Tahai) には5体のモアイが並びます。直ぐ近くに目入りのモアイ、先住民が暮らしていた村の跡、イースター島をより深く学べる博物館もあるので見所盛沢山の場所。ハンガロア村から歩いて15分位で行けるアクセスの良さも魅力です。

でも個人的にアフ・タハイ最大の魅力は、モアイを背に夕日が沈む光景だと思います。真っ赤に染まるモアイの姿は、何とも幻想的。治安の良いイースター島なので、夕飯を持参してピクニックしながら壮大な景色をゆっくり楽しんで下さい。

イースター島唯一の目入りモアイ

アフ・コテリク (Ahu Koteriku) のモアイもとても興味深いです。レプリカではありますが、島内で唯一目が入ったモアイ。目を入れる事で初めて霊力(マナ)が宿るとされたので、モアイ像にとって目はとても重要なものでした。

だからこそモアイを倒し合う部族間抗争が起きた時は、力を奪う為に顔を下に向けて倒し、真っ先に破壊したのがモアイの目です。なのでイースター島のモアイ達には、くぼみがあるだけで目が付いていないのです。

イースター島博物館

目の入ったモアイは、アナケナ・ビーチで発見されたモアイの目を参考にして復元されました。モアイ倒し戦争で全てのモアイの目が徹底的に壊されたので、現存するのは1つだけ。その貴重なモアイの目が展示されている博物館です。

白目の部分は白珊瑚、黒目は赤みを帯びた凝灰岩を使っています。モアイの目の他にも、世界に数十枚しかない先住民のロンゴロンゴ文字が刻まれた板、モアイを作った石器なども展示されていて、小さいながらも貴重で特別な博物館です。

海を眺めるモアイ

モアイには集落を守る役割があるので、海を背に島内を向いて置かれます。アフ・アキビ (Ahu a Kivi) にある7体のモアイ像は、イースター島内で唯一海に顔を向けて立っています。近くに人の集落も見当たらず、謎だらけのモアイ群。

伝説によればイースター島に初めて渡って来た人物は、ホツ・マツア王。現在はフランス領である「ヒバ・マライ・レンガ」という島が崩壊しそうになり、新たな土地を探して辿り着いたのがイースター島だったとされます。

アフ・アキビの7体のモアイ像は、ホツ・マツア王と一緒にイースター島へやって来た7人の王子との説があります。「アフ・アキビのモアイ達は、海の向こうの遥か彼方にある故郷を思って立っているんだ」なんてガイドさんが言うから、郷愁にふけるモアイにしか見えず、何だかとても感慨深かったです。

一番保存状態の良いモアイ

美しいアナケナ・ビーチを背にして立っているのがアフ・ナウナウ (Ahu Naunau) のモアイ像。部族間抗争で地面に倒されてから、ずっと長い間砂に埋もれたままだったので、イースター島内で一番保存状態の良いモアイ達です。

細かな砂に埋もれていた事で浸食を免れる事が出来ました。モアイの胴体に掘られた装飾も消えずに残っているので注目して下さい。同じ祭壇上に体の一部しか残っていないモアイ像もあります。砂の外にあったので、雨風や太陽の光で浸食してしまったのだそう。

保存状態の良さに加え、アフ・ナウナウの4体のモアイは赤いプカオを頭にのせています。帽子のように見えますが、当時の島民がしていた髪型、髷を模したもの。プカオをのせているモアイは島内に6体だけ。その内の4体がアフ・ナウナウにあります。

イースター島博物館で展示されているモアイの目も、ここで発見されました。アフ・ナウナウには2つの祭壇があり、複数のモアイが立つ方の祭壇を修復していた際にモアイの目が発見されました。白い珊瑚の破片が見つかり、それをパズルのように組み立てたらモアイの目となったのだそう。島の博物館に展示されています。

大英博物館にあるモアイ

イースター島で一番保存状態の良いモアイはアフ・ナウナウ。でも最も完璧な形で現存するモアイは、イギリスの大英博物館にあります。オロンゴ岬の祭壇にあったもので、他のモアイ像とは異なり玄武岩で出来ていて、鳥人伝説の彫刻が刻まれています。

ヨーロッパ人に奪われる事を恐れて、島民たちは近くにあった石の小屋に隠していたのですが、イギリス人に見つかって連れ去られてしまいました。ホア・ハカナナイアと呼ばれ、先住民族の言葉で「盗まれた友」を意味します。なんともやるせない気持ちが詰まった呼び方です。

最初に立ち上がったモアイ

アフ・ナウナウから少し離れた場所に、ホツ・マツア王のモアイが一体あります。ノルウェーの探検家トール・ヘイエルダールによって、イースター島で初めて掘り出され立ち起こされたので、最初に立ち上がったモアイと呼ばれています。

1956年、ノルウェーの探検家はクレーンなどの近代的な技術を使わず、当時と同じく石、ロープ、木材のみを使用した方法でモアイを立ち上がらせました。12人の屈強な人力と18日間、そしてモアイの立とうとする強い意志が必要だったとの事です。

20本指のモアイ

アフ・フリ・アウレンガには20本の指を持つモアイがあります。ただかなり古い時代のモアイなので、20本の指は殆ど見えません。20本ある指には諸説がありますが、本当のところは分かりません。他にも頭が2つあるモアイも存在します。

モアイと冒険家とコン・ティキ号

南米のインカ文明とポリネシア文明には多くの共通点が見られるので、ポリネシア人の祖先は、南米から海を渡ったアメリカン・インディアンだと信じる人が多いです。トール・ヘイエルダール氏はそれを立証する為に、松、竹、麻など古代でも入手可能な材料のみを用いて一隻の筏を製作しました。

コンティキ号と名付けられた筏は、風と海流の力だけを頼りに102日間8,000kmの航海に成功し、ポリネシア人の祖先がアメリカ・インディアンである可能性を証明しました。

その漂流航海を記したコン・ティキ号探検記は、世界的なベストセラーとなり、映像化もされます。2012年にはノルウェーが莫大な製作費をかけて映画「コン・ティキ」を作りました。

とても素敵な作品なので、イースター島を訪れる前に是非見ておいて欲しい。ロマン溢れる冒険家、ヘイエルダールが掘り起こしたモアイを見ていると、心がワクワク高揚し、冒険心が沸き上がってくるような気がします。

モアイのプカオ製造工場

後期のモアイは頭の上にプカオと呼ばれる赤色凝灰をのせています。当時のイースター島民は、長い髪を赤く染め頭の上で結っていたので、その姿を表現しているのだそう。

モアイは時代が進むにつれ、先祖崇拝の目的から部族の権力の大きさを象徴する目的に変化しました。より大きなモアイを競って作り、モアイ本体を大きくしただけでなく、頭の上にこのプカオをのせ、更に大きくさせました。一番上に置く石なので、島で一番軽い石が使われたのだそう。

モアイはラノ・ララクの凝灰岩で作るのですが、プカオはプナ・パウで採れる鉄分を多く含んだ赤い凝灰岩を使います。プナ・パウへ行くと、モアイではなくプカオがゴロゴロ放置されています。この石切り場で円柱の形に岩を掘り出し、転がして移動し、モアイの頭にのせる直前に彫刻をしました。

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