世界食べ尽くしの旅 

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トルコの観光地30選、トルコの世界遺産と見所

      2022/02/04

アジアとヨーロッパ、2つの顔を持つトルコは観光大国。見所が沢山あり過ぎるので、よほど効率よく廻らないと大変です。国も大きく、見所が散らばっているので、最低でも2週間は欲しいところ。私は二か月滞在しましたが、全然時間が足りなかったです。ヨーロッパ在住20年のフードライターが、世界中を食べ尽くすの記録。今回はトルコで絶対訪れたい観光地のまとめ。

世界遺産の街イスタンブール

トルコ最大の都市イスタンブール (Istanbul) は、4世紀以降は東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルとして、15世紀からはオスマン帝国の首都イスタンブールとして繁栄しました。とてつもなく長きに渡った栄華を象徴するような、素晴らしい建造物が集中しています。

権力の象徴でもある、圧倒されるような大型建築物が多いのですが、繊細な美しさも合わせ持ちます。治安も良いので安心して街歩きができ、ショッピングも楽しく、美味しい物も沢山。長期滞在、リピーターが多いのも納得の、旅人の楽しいが全て詰まった、最強レベルの素晴らし過ぎる観光地です。

イスタンブールの見所

アヤソフィア (Ayasofya)

アヤソフィアは直径31mの巨大なドームが特徴的なバシリカ式聖堂で、ビザンツ建築の奇跡の最高傑作と呼ばれています。360年に建設された世界最大のキリスト教の大聖堂だったのですが、オスマン帝国が東ローマ帝国を滅ぼした15世紀からは、イスラム教のモスクとして使用されるようになりました。

イスラム教が偶像崇拝を厳しく禁じているので、内部の壁面に描かれたキリスト教の絵画やモザイク画が漆喰で覆われました。1935年に宗教的に中立な博物館として使用される事になり、修復作業の過程で、漆喰の下から煌びやかなビザンティン時代のモザイク画が次々と発見されました。

金を大量に使ったビザンティン芸術の最高傑作とされる美しいモザイクの一部は、漆喰が剥がされ、一般公開されるようになります。とても人気のある観光地だったのですが、2020年に再び本来の役割であったイスラム教徒の礼拝の場の機能を取り戻します。

アヤソフィアは異文化共存の象徴だったので、この決定には特に国外からの批判が高まりました。モスクとなっても礼拝のない時間帯であれば引き続き観光客を受け入れるとしていますが、モザイク画は再び隠される事になるかもしれません。

スルタンアフメト・ジャミイ ( Sultanahmet Camii)

スルタンアフメト1世によって17世紀初頭に建てられた、世界で最も美しいとされるモスクです。アヤソフィアに影響された大きなドームが特徴的で、内部の壁が青を基調にした2万枚以上の手書きタイルで装飾されていることからブルーモスクと呼ばれています。

ブルーモスクの周囲に建つ、6本のミナレット(塔)に注目して下さい。ミナレットの数はモスクの格式の高さを表します。建築当時イスラム教の総本山であるメッカのモスクには6本のミナレットが建てられていました。

暗黙の了解で6本を超えるミナレットは持つことが出来なかったのですが、スルタンがメッカのモスクにミナレットを1本寄付し、7本とする事で解決したといいます。

世界遺産の街サフランボル

サフランボル (Safranbolu) は、トルコ北西部の標高600mの山間に位置する小さな町です。古き良きオスマン帝国時代の町並みが、そのままの形で残る素晴らしい場所。

1994年に世界遺産に指定されて以来、注目を浴びるようになりましたが、交通の便が悪いので訪れる観光客が少なく、未だ秘境の雰囲気を保ちます。ただ土日はトルコ人の観光客が多く訪れて賑やか。

かつてはシルクロードの中継点にある宿町として栄えていたのですが、鉄道の線路から外れた事で過疎化し、時代に取り残されました。でもそのお陰で昔から何も変わらない伝統的な木造の古民家の集落として、世界遺産にもなりました。

景観の保護活動が現在も続けられていて、新しい建物を建てることは基本的にすべて禁止。古い建物をリフォームする際も、出来るだけ建物にダメージを与えないように細心の注意が払われます。

サフランボルは何処を見ても風情があるので、ただ歩いてるだけで楽しい町です。1週間位滞在したけど全然飽きませんでした。物価も安くて最高。トルコで最高に気に入った町の一つです。

世界遺産のハットゥシャの遺跡

首都アンカラから東に150km程の所に、ヒッタイト帝国の首都ハットゥシャ (Hattuşaş) の遺跡があります。観光名所の多いトルコでは地味な存在となっていますが、歴史的に大変価値のある、何よりも大きなロマンを感じる場所です。

ヒッタイトは歴史上はじめて鉄製の武器や戦車を使用し、メソポタミアを統一した有名なハンムラビ王率いるバビロン第一王朝を滅ぼした国です。古代エジプトとも肩を並べるほどの強大な国であったのに、長い間歴史から忘れ去られていました。

20世紀初頭、トルコの小さな村ボアズカレ (Boğazkale) で、一万枚を超える粘土板が発掘されました。その中の一枚には、人類史上最も古い古代文字である楔形文字で、エジプト王ラメセス2世とヒッタイト王ハットゥシリ3世との間に結ばれた、世界初の平和条約が記されていました。

この粘土板、エジプト側では既に発見されていて、同じものがボアズカレで発見された事で、その地がヒッタイトの首都、ハットゥシャである事が判明したのです。それまで存在する事すら知られていなかった大帝国が、いきなり歴史上に名をあげたので、世紀の大発見とされています。

ヒッタイトは徐々に勢力を弱め、紀元前1200年頃に滅亡しました。ヒッタイトが滅亡した事で、独占していた鉄器製造技術が拡散され、青銅器時代から鉄器時代へと移行したと考えられています。

これだけ歴史上重要な役割を担った大帝国が、1906年に発掘されるまで存在すら知られていなかった事が不思議でなりません。しかもハットゥシャの遺跡は地表に出ていて、現地の人は誰もがその存在を知っていました。

この地を西洋人が訪れるまで本当の意味は発見されず、現地の人達は粘土板のかけらを羊の群れを追うのに投げていたといいます。色々な意味で、とても感慨深い遺跡なので、不便な場所にありますが、絶対おすすめの世界遺産です。

複合世界遺産のカッパドキア

トルコの真ん中に位置するカッパドキアは、噴火による溶岩が何億年もの歳月をかけて風化と侵食を繰り返して出来上がった奇妙に変形した大地が続く場所です。美しい自然の中に、人間が作り上げた風景が見事に融合しているので、世界遺産の中でも珍しい複合遺産としてユネスコに登録されています。

カッパドキアの拠点ギョレメ

カッパドキアの中央に位置するので、殆どの観光客がこの街を拠点にして周辺の観光スポットを周ります。ギョレメの他にも素敵な町が点在しますが、一泊は絶対に宿泊したい場所です。

夜明け前ぐらいに宿を出て町の高台に登ると、物凄い景色を見ることが出来ます。数えきれないほどの気球が、早朝にギョレメの町上空を漂うのです。あんなに沢山の気球を見たのは生まれて初めて。

不思議な形態の岩と無数の気球をセットで見ると、何だかもう、この世のものとは思えない景色です。勿論気球に乗るのもお勧めで、唯一無二の経験となるでしょう。ギョレメの宿で翌日の気球ツアーに申し込む事が出来ます。

カッパドキアで一番美しい町ウチヒサル

ギョレメの街から南へ4km程の所に位置するウチヒサール(Uçhisar)は、尖った要塞の意味を持つ、カッパドキアで一番美しいとされる町です。巨大な岩の上にあるお城から、小さな家々がこぼれるように連なる不思議で素敵な光景です。

小さな町なのですが人気が高く、大型バスで観光客がやってくるので昼間はかなり賑わいます。とにかく美しく、オシャレなカフェやお土産屋も多い町なので、ここを拠点にするのもいいと思います。

ただ少し観光地化され過ぎた感もあり、美しさが嘘っぽくディズニーランドみたいに感じるかもしれません。

カッパドキアの穴場ユルギュップ

ユルギュップ (Ürgüp)は、常に観光客で溢れているカッパドキア地方では珍しく観光客の数が少なく、穴場的存在の町です。他の町に比べると何もないのですが、何もないのがいい感じ。カッパドキア本来の雰囲気が味わえます。全てが適正価格なのも最高。

カッパドキアのギリシャの村ムスタファパシャ

ムスタファパシャ (Mustafapasa) はユルギュップから5キロ程離れた町です。1890年のオスマン帝国時代には4500人のギリシャ人が住んでいたのですが、1923年の住民交換により居なくなり、ギリシャ様式の建物だけが残されました。

これはトルコとギリシャの間で交わされた政治交渉の結果です。トルコ国内のギリシア人と、ギリシャ国内のトルコ人が強制的に追放されたのです。周辺の村とは全く異なるギリシャ風の建物を多く見れる、珍しい村となっています。

カッパドキアの童話な世界オルタヒサル

こじんまりした町中は、何処を見ても何を見ても童話の世界です。人気のある観光地ではありますが、ウチヒサルよりは観光客が少ないので、ファンタジーの世界にどっぷり浸る事が出来ます。町の中央にある岩の要塞から見下ろす景色も最高に素敵です。

カッパドキアの奇石が密集する想像の谷

この世のものとは思えない奇妙な景色が続くカッパドキアの中でも、一番想像力を掻き立てらる奇石が密集している事から想像の谷 (Devrent Vadisi)と名付けられました。公共の交通手段がないのが難点だけれど、絶対に訪れたい場所です。私はヒッチハイクして行きました。

カッパドキアで一番有名なローズバレー

ギョレメ国立公園内にある、ピンク色の岩々が見渡す限り続く谷です。カッパドキアで一番のインスタスポットで、地元の人達が良く結婚式の写真を撮っています。特に夕暮れ時がピンク感がたかまります。

多くの観光客は展望台にしか立ち寄らないのですが、ローズバレーの魅力は歩いてみないと分からないと思います。素晴らしいトレッキングコースが多々あるので、時間をかけて散策してみて下さい。

カッパドキアで人気急上昇中ラブバレー

キノコのような形の岩が、男性のシンボルに似ているのでラブバレーと名付けられました。最近人気急上昇中の場所で、周辺のハイキングコースが、まるで天国の景色です。世界の色々な場所でトレッキングをしてきたけれど、ここのコースはトップクラスです。

複合世界遺産のパムッカレ

パムッカレとはトルコ語で「綿の城」を意味します。丘の上部から流れ落ちる石灰成分を多く含んだ湯が、長い時をかけて結晶化し大地を覆いました。まさに純白の綿の城のような、素晴らしい景観を見る事が出来ます。

白いのも凄いのですが、淡いブルーの温泉の湯と白い石灰棚の色彩のコントラストが何よりも美しい。ただ年々湯の量が減っていて、何年か後には干からびてしまうかもしれないので、今のうちに堪能したい世界遺産です。

観光客が多過ぎる午後を避けて、午前中の早い時間に訪れるのがベスト。でも夕暮れ時も捨て難いです。朝日を浴びると青白く、夕日を浴びると赤く染まります。

上部にある入場料ありの温泉は入らなくていいと思います。でも必ず水着は持参しましょう。所々にお湯がたまって、天然のプールみたいになっています。温泉とは言え、生ぬるいぐらいなので夏限定。石灰棚保護のため裸足で歩かないといけないので、冬なら足ふき用のタオルなんかを持って行った方が良いかと思います。

複合世界遺産のヒエラポリス

紀元前190年に建設された都市の遺跡です。ローマ帝国時代の地震で一度崩壊するのですが修復され、1354年の大地震で再び廃墟と化しました。ローマ劇場、浴場、無数の墓など、ヘレニズムやビサンツの様式を表す遺跡が広い範囲に点在しています。

特に劇場が素敵です。前述のパムッカレと同じ場所にあるのですが、多くの観光客はパムッカレだけを見て帰ってしまうらしい。私も全然期待しないで行ったのですが、素晴らしい規模にびっくりしました。自然のパムッカレと文化のヒエラポリスが合わさっての複合世界遺産なので、スキップせずに絶対見て下さい。

世界遺産のアフロディシアス遺跡

アフロディシアス遺跡 (Aphrodisias) は、2017年に登録されたトルコの新しい世界遺産です。まだ観光客が少ないので、落ち着いた雰囲気の中で壮大な規模の遺跡を満喫出来ます。

アフロディシアス遺跡は、初めてトルコ人によって発見され、トルコ人によって発掘調査されている遺跡です。地震の被害が多く、長い間廃墟となっていた事と、周辺に住居がなく石材などの持ち出しが少なかった事で、世界屈指の保存状態の良さなのだそう。

見所は沢山ありますが、幅59m、長さ262m、3万人を収容出来たとされる競技場が素晴らしいです。まだ訪れる観光客は少ないのですが、今後トルコを代表する遺跡となるはずです。

アフロディシアス遺跡へのアクセス

アフロディシアス遺跡はゲイレ (Geyre) 村の近くにあります。パムッカレの拠点となるデニズリからアフロディシアスまで145km位、イズミールからアフロディシアスまでは190km程です。

いずれにせよ直行で行くバスがなく、最寄りの町ナッズィリ (NAZİLLİ) からバスかタクシーでゲイレ村まで行くことになります。アクセスの難しさから、なかなかのハードルの高い遺跡なのですが、世界遺産に登録された事で今後は直通バスも登場するかもしれません。

世界遺産のエフェソス

エフェソス (Ephesos) は、セルチュク近郊にある世界最大規模の古代都市の遺跡で、トルコ語でエフェス (Efes) とも呼ばれています。紀元前11世紀にギリシャからやってきたイオニア人が建設し、紀元前130年のローマ帝国支配下で黄金期を迎えました。

10万の人が住む、ローマ、アレクサンドリアに次いで人口の多い町として栄え、多くの国際会議も開かれました。規模も凄いのですが、ヘレニズム時代、ローマ帝国時代、初期キリスト教時代の貴重な遺跡が多く残る場所なので、遺跡好きなら絶対に訪れたい世界遺産です。

エフィソスの見所

規模が大きいだけに色々とあるのですが、一番の見所は「世界の七不思議」の一つでもある、アルテミス神殿です。アテネのパルテノン神殿の4倍の大きさの、127の円柱が並ぶ神殿であったとされています。

世界のあらゆる不思議を見た作者ですら「アルテミスの宮がはるか雲を突いてそびえているのを見た時、その他の驚きはすっかり霞んでしまった。オリンポスを別にすれば、かつて日の下にこれほどのものはなかった」と驚くばかりの壮大さです。

アルテミス神殿は、紀元前356年、一人の若者の残念な功名心によって灰と化します。どんな事をしてでも後世に名を残したいと思った羊飼いが、火を放ったのです。まるで三島由紀夫の金閣寺の世界。

アルテミス神殿は、確かにエフェソス遺跡の一番の見所ではあるけれど、多くの重要な遺跡は発見者である英国人によって持ち帰られ、大英博物館にあります。本元に残されているのは、復元された一本の柱のみ。これだけで当時の壮大な姿をどれだけ思い浮かべられるか、あなたの想像力が試される遺跡です。

エフィソスはキリストの死後、聖母マリアが使徒ヨハネと共に移り住んだ地としても有名です。余生を過ごしたとされる家と礼拝堂が残っていて、ローマ教皇も毎年訪問する神聖な場所です。

世界三大図書館の一つであったセルシウス図書館、2万5千人が収容可能だった大劇場、他にも多くの遺跡が保存の良い状態で残っています。時間をかけて散策して下さい。

世界遺産のペルガモン遺跡

ペルガモン遺跡は長い間ドイツの名物とされてきました。ベルリンにある世界的に有名なペルガモン博物館の一室に、ペルガモン遺跡で発掘されたゼウスの祭壇が、オリジナル通りに復元されて展示されているからです。

ペルガモン遺跡は19世紀にドイツ人によって発掘され、全長100mに及ぶゼウスの大祭壇をはじめ、多くの貴重な遺跡がベルリンに運ばれました。トルコ人のガイドさんは何時も言います。「トロイはシュリーマンに盗まれた。ペルガモンは皇帝が沢山あるからいいよと言ったから持っていかれた。」

トルコ人はドイツに対してかなり恨みがあるようですが、几帳面なドイツ人が発掘し保存した事で、貴重な遺跡が完璧に近い保存状態で現存している側面もあります。

いずれにせよ、2014年にトルコのペルガモン遺跡が世界遺産に登録された事で、本元の知名度が急上昇中。ベルリンのペルガモン博物館を訪れた事がある人なら猶更、本家に行って祭壇を景色に当てはめて楽しんで欲しいです。

ペルガモンは標高335mの岩山に、紀元前3世紀頃築かれた古代の城砦都市。文化、芸術、学問の中心地として栄え、現在も神殿、ギムナジウム、図書館など多くの遺跡が残っています。特に図書館は当時の世界最大とされていて、20万冊の蔵書があったといいます。

ペルガモン遺跡への行き方

ペルガモンは古代名で、現在この地はベルガマ (Bergama) と呼ばれているので、地図を見る時に注意して下さい。イズミール (Izmir) から北に100kmの所にあり、バスで2時間程かかります。

イズミールの街を拠点にして、ペルガモン遺跡とエフィソス遺跡、2つの世界遺産を制覇する事が出来ます。どちらの遺跡もイズミールから100キロ程離れていて、遺跡の規模も大きいので、一日で両方を周るのは無理だと思います。

世界遺産の街ブルサ

行く予定は全く無かったのに、多くのトルコ人が勧めるから行ってみた場所で、14世紀頃にオスマン帝国の首都だった街です。世界遺産ではあるけれど、観光客が少なく落ち着いた雰囲気。と言うかトルコ人の観光客が異常に多いです。

トルコ人はブルサが大好き過ぎるので、本当にあらゆる人から勧められました。住んでみたいと思わせる、居心地の良さが一番の魅力なのですが、美味しいものも沢山あります。

世界遺産のジュマルクズック

ブルサの街から10km程の所にある古民家で有名な村で、ブルサの街と共に世界遺産に登録されました。前述したサフランボルを訪れる時間がないのなら、ジュマルクズックを代替案にして欲しい。ただ規模的にはサフランボルの方が断然大きいです。

コンヤ

コンヤ (Konya) はトルコ最古の都市で、紀元前7000年位から人が住みついていました。解散させられたイスラム神秘主義メヴレヴィ―教の総本山があった場所で、アナトリア随一の宗教都市として栄えていた面影を今に残します。

コンヤの見所

街自体にはこれと言った見所がなく、コンヤを有名にしているのは旋舞教団とも呼ばれるメヴレヴィ―教団のセマーです。セマーとはスカートをはいた信者がお経のような伝統音楽に合わせて、駒のようにクルクル回る宗教行為。

踊っているように見えますが、祈りの手段で、回転は宇宙の運行を意味し、回転する事で忘我の境地に達して神との一体化を図っているのだそう。ひらひら舞い上がるスカートを見ていると、何とも神秘的な不思議な気分になります。

世界遺産のトロイの考古遺跡

ホメロスの叙事詩「イリアス」によると、トロイの王子がギリシア王の美しい妻ヘレネを誘惑した事でトロイア戦争が起きたといいます。10年続いた戦争に決着を付けたのがトロイの木馬。巨大な木馬の中に兵士を潜ませて城内へ侵入し勝利しました。

ドイツ人のシュリーマンは子供の時にこの物語を読み、トロイアの舞台を訪れたいと夢みました。実業家として成功したシュリーマンは、情熱と蓄えをフルに使って発掘作業に取り組み、幼い頃からの夢を掘り当て、トロイが実在する都市である事を証明したのです。

世界遺産のネムルト・ダウ

ネムルト・ダウ (Nemrut Dağ) はトルコ東部にある標高2,134mの山です。王や神々の像が座して並んでいるが、

おすすめの美味しいトルコ料理

トルコは美しいだけでなく美味しい国でもあります。その証拠にトルコ料理は世界三大料理の一つとされているんです。トルコを訪れたら絶対食べたい、おすすめのトルコ料理をこちらの記事にまとめました。

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