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スペインの闘牛は何時、何処で、どう見るべきか、スペインの闘牛の歴史と祭

      2021/05/03

春の訪れと共に、スペインの闘牛シーズンが始まります。スペインと言えば闘牛との認識がありますが、実際の所スペイン人の殆どが闘牛に関心がないだけでなく嫌っています。動物愛護の精神から、残酷だと思う人が多いからです。それでも闘牛をスペインの国技で文化であるとする熱狂的なファンも存在します。好き、嫌い、賛成、反対、芸術、低俗、伝統文化、野蛮文化。スペインで一番大きく意見が分かれるのが、この「闘牛」の存在なのかもしれません。

スペインの闘牛シーズン

闘牛は春から秋にかけて、3月から10月の間に開催されます。人気が低迷していますが、それでもサッカーに次いで2番目に多い興行です。サッカーのシーズンが秋から春にかけてなので、スペイン人を熱狂させる2つの行事が被らないようになっています。

年々若者を中心に、闘牛離れが激しいのですが、闘牛はスペイン各地の祭と同時に開催されます。熱狂的な闘牛ファンは激減していますが、お祭と言えば闘牛、のスタンスは今も昔も変わりません。パンプローナ県のサン・フェルミンの牛追い祭は、中でもかなり闘牛色が強いのですが、現在でも多くの老若男女を熱狂させています。

スペインの闘牛は何処で見るべきか

春から夏にかけてスペイン各地で開催される闘牛。闘牛と祭は強く結びついているので、祭が大きくなる程、格のある闘牛士による質の高い闘牛が開催されます。闘牛士は小さな村祭の闘牛場でデビューし、場数を踏みながらより大きな祭の闘牛場を目指すのです。

闘牛士にとって憧れの舞台は、3月にバレンシア地方で開催される「火祭り」、5月のマドリッドの「サン・イシドロ祭」、7月のパンプローナの「サン・フェルミン祭」、10月中旬のサラゴザの「ピラール祭」。

だからこの4つの祭の闘牛を観戦すれば、スペイン最高峰の闘牛士による、最上の闘牛を見る事が出来ます。この4つの祭だけでなく、基本的に祭=闘牛なので、祭があるなら闘牛が開催されているはずです。スペインの有名な祭に関しては別記事にまとめました。

スペインの闘牛のチケットの取り方

闘牛の質を決定するのは、闘牛士の技量だけではありません。由緒ある闘牛牧場からやってくる最強の牛と戦って、初めて最上の闘牛となります。そんな最上の「闘牛」はチケットが取りにくく、お値段もかなり高騰します。

闘牛は好き嫌いが激しく分かれる興行です。血を見る事、牛を殺す事の残酷さに気分が悪くなってしまう人もいます。1回試しにみるだけなら、小さな村祭の闘牛を見た方が良いかと思います。

村祭なら当日券が簡単に買え、値段は座席によって異なりますが、大きな祭の闘牛とは比較にならないほど安いです。安い値段なら途中退場もし易いです。でも席を立つ場合は、必ず切れ目を見計らって周りの人達の邪魔をしないよう気を付けて下さい。

祭=闘牛ではありますが、闘牛場の無い村も存在します。闘牛の本場、スペイン南部のアンダルシア地方の村々なら、必ず闘牛場があるかと思います。別記事でお勧めの白い村をまとめたので、観光がてらに闘牛を見学するのも良いかと思います。

スペインの闘牛とサッカー

闘牛はスペインに限らず、ポルトガル、フランス南部、コロンビアやメキシコを中心としたラテンアメリカでも開催されていますが、どこの国でも動物愛護の観点から批判が強まっています。

闘牛が一番盛んで国技とされているスペインでも年々反対勢力が増えています。動物愛護の精神だけが闘牛を衰退させた訳ではありません。長い間大衆娯楽として親しまれてきた闘牛ですが、サッカーにその地位を奪われました。

闘牛に代わってサッカーが人々を熱狂させるようになり、闘牛離れが加速したのです。昔はお金持ちになりたい子供が目指したのは闘牛士だったのですが、今では皆サッカー選手を目指します。

スペインの闘牛の今後

2011年からは闘牛の中継が終了し、試合回数も少なくなりました。2007年のスペイン国勢調査では国民の4分の3の人達が「闘牛に関心がない」としています。今また同じような調査をすれば、その割合は更に高くなっているでしょう。

バルセロナでは2011年に闘牛が法律で禁止され、闘牛場は外側だけを保存して、ショッピングセンターに改造されました。禁止されていない他の地域でも、動物愛護の精神が年々高くなっているので、闘牛シーズンとなると各地の闘牛場で抗議活動が起ります。

今後はバルセロナのように闘牛が禁止される県も出てくるかと思います。ただ闘牛はスペインの祭ととても強く結びついています。全ての闘牛が廃止されるには、スペイン人は余りにも祭好きが過ぎるので、難しいかなとも思います。

スペインの闘牛のスタイル

スペインの闘牛はマタドールと呼ばれる正闘牛士が牛を剣で刺し、死に至らしめます。マタドールは闘牛士全体の一割にも満たない特別な存在。1回の闘牛の興行では3人の正闘牛士が2頭づつ、合計で6頭の闘牛を殺します。

正闘牛士が登場する前に、ピカドールと呼ばれる槍持ちが闘牛の首に全体重を乗せて2回突き刺します。こうして闘牛の力を弱めないと、人間にはとても手に負えない動物だからです。

次に登場するのがバンデリージャスと呼ばれる銛打ち。装飾された銛を2本ずつ3回闘牛に打ち込みます。黒い闘牛にカラフルなリボンが付いた銛を刺す、視覚的な演出の意味合いの他に、槍で突かれた闘牛に時間を与え休憩させます。

そして最後に登場するのが正闘牛士です。ムレータと呼ばれる赤い布を使って闘牛を翻弄します。ただ牛の目は色を区別する事が出来ないので、実際に牛の興奮を煽っているのは赤の色ではなく、布の動きです。

ここで注目したいのは闘牛士の足。赤い布を使って闘牛を誘導し、闘牛が突進してきた時に闘牛士の足が全く動かない事が重要です。観客がオレ―(OLE)と声を出す時は良い闘牛をしている証拠です。

闘牛士と闘牛の10分間の死へのダンスの後に真実の瞬間が訪れます。闘牛の首の後ろを真剣で突き刺し、心臓近くの大動脈と大静脈を切るのです。パーフェクトに決まれば闘牛は数秒で死を迎えます。

失敗して肺に剣が刺さると闘牛は血を吐きながら苦しみます。闘牛を苦しませず、美しい死を与える事が闘牛で一番大切な事。闘牛に苦しみを与えた闘牛士には、観客から大きなブーイングが浴びせられます。

美しく完結した闘牛には、観客は歓声と共に一斉に白いハンカチを取り出して振ります。観客のハンカチの数によって死んだ闘牛の耳を切り取り闘牛士に与えます。最高の闘牛をした闘牛士には2つの耳だけでなく闘牛の尾までもが褒美として与えられます。

スペインの闘牛の起源

闘牛の牛は、スペインに古くから生息していた牛です。紀元前2000年の旧石器時代、狩猟世界だった時代の壁画に一番数多く描かれている野生の牛が、今ある闘牛の牛の祖先です。

野生の牛は収穫の守り神として称えられ、それが何時しか神聖なモノに捧げる生贄的存在となりました。神の存在が確立していなかった時代に、神格化されていた巨木や巨石に捧げられたのです。

時が経ち、ある春の訪れを祝う宗教的な祭で、1人の青年が牛と闘って殺し、その血を村の大地に撒きました。一説ではそれが闘牛の起源だとされています。

闘牛の歴史

闘牛はスペインだけのものではありません。青銅器時代のイタリアでも同じような儀式が行われていました。ローマ時代となると宗教的な意味が失われ、”パンとサーカス”の名のごとく、スペクタクルな見世物としての「闘牛」が始りました。

中世になるとサーカス的な「闘牛」は姿を消し、今度は戦の練習として、馬に乗った騎士が牛と戦うようになりました。15世紀頃には、新兵器の発明で騎士達の戦い方が変わり、このような訓練は必要とされなくなりました。それでも騎士達の技能や勇気を試す為の「闘牛(牛と人との戦い)」は失われる事がありませんでした。

お金持ちの道楽としての闘牛

騎士達は広場に集まり、牛と戦う事によって技量を競い、村人達はこぞってそれを見物しに出かけました。こうして馬の上から手槍で牛を突くスタイルの闘牛が生まれました。

闘牛はエリート達によるスポーツで、エリート達が一般庶民に披露する演劇のようなモノでした。そんな闘牛を貧乏人達に混じって観戦し、狂喜乱舞していたのがカルロス5世です。王族の中で一番の闘牛好きとして知られる彼の統治下で、闘牛が盛んに開催され、定着しました。

お金持ちから貧乏人の手に渡った闘牛

1700年、カルロス2世が世継ぎの無いまま死亡すると、スペイン継承戦争が始まりました。勝利したのは初のブルボン王朝家のフェリーペ5世です。彼が王としてスペインへと乗り込んで来た時、寵臣達はどうにか彼を喜ばそうと闘牛に連れ出しました。

闘牛に馴染みの無かったフェリーペ5世は、強い拒絶反応を示しました。そうなると家臣たちも王にならい、闘牛離れが始まります。こうして王族、貴族達が闘牛から離れていくと、貧乏人による貧乏人の為の「闘牛」の時代が幕を開けました。そしてそれは一攫千金を目指した、アメリカンドリーム的な「闘牛」へと進んでいくのです。

見世物から芸術へと変化した闘牛

初期の頃の闘牛は、芸術と呼ぶには程遠いシロモノでした。セレクションが無いので、人間相手には大き過ぎる8~10才の牛が使用されていたのです。(現在使用されているのは5才前後の牛)

闘牛が強すぎたので、戦うと言うよりは、ドタバタ逃げ回る感が強かったといいます。そんな闘牛を変えたのがフアン・ベルモンテ(Juan Belmonte)、闘牛士の父と呼ばれる男です。

フアンは美しい闘牛を目指し、彼の出現によって闘牛の基礎が出来上がりました。闘牛が芸術化し、それが現在に続く、スペインの伝統文化としての闘牛の礎となったのです。

スペイン最古の闘牛場

スペイン近代闘牛の発祥の地で、スペイン最古の闘牛場があるのがスペイン南部のアンダルシア地方にあるロンダの街。闘牛の聖地として有名なロンダに関しては別記事で詳しくまとめました。

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