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イースター島のモアイは何故、どのように作られたのか、世界遺産のモアイに関する全て

      2021/06/20

イースター島の巨石文明モアイ

チリのイースター島は、モアイと呼ばれる巨大な石の像で世界的に有名な場所です。イースター島は周囲60km、北海道の利尻島ほどの大きさしかありませんが、1000体近くのモアイ像を有します。

一番大きなモアイ像は20メートル、重さは90トンに達します。これほど巨大で沢山のモアイ像を、イースター島の人々は何を目的に、どのようにして作ったのでしょうか。

イースター島のモアイ像の大きさ

モアイは作られた年代によって大きさが異なります。作られ始めた初期のモアイ像は3mに満たない大きさでした。14世紀には5メートル級の像となり、終盤の16世紀となると更に巨大化して10メートルを超えるようになります。

後期のモアイはただでさえ大きいのに、プカオと呼ばれる赤い石が頭上に乗せられて、更に大きくなっています。モアイは大きさだけでなく、顔や頭の形などでも年代が測れます。

モアイ像が作られた理由

文献が全く残っていないので、多くの謎に包まれているイースター島のモアイ像。でも近年の調査でモアイの台座から多数の人骨が発見され、墓碑的な役割で作られ始めた事が判明しました。

モアイは海を背にして集落に顔を向ける形で置かれました。モアイの目にはマナと呼ばれる強力な精霊の力が宿るとされ、先祖を祀ると同時に村を守る守護神的な存在であったとされます。

島の人口が増え酋長が多数出現するようになると、モアイ像は巨大化していきました。大きなモアイを作る事が、より力の強い酋長の証とされたのです。こうして島民の精神的な支えであったモアイ像は、権力争いに利用されるようになりました。

イースター島のモアイの素材

イースター島のモアイ像は、島の東部にあるラノ・ララクと呼ばれる凝灰岩の岩山を削って作られました。凝灰岩とは火山灰が堆積して出来た岩石で、もろくて軽いのが特徴です。

モアイの素材となった柔らかい凝灰岩は、加工には適していたのですが細かい細工には向いていません。だからこそモアイ像は至ってシンプル。でもその素朴さこそが、モアイ像の大きな魅力の一つだと思います。

イースター島のモアイの作り方

殆ど全てのモアイがラノ・ララクで作られました。島には鉄が存在しなかったので、硬い玄武岩で作ったトキと呼ばれる岩の手斧を使ってモアイを岩山から切り出しました。モアイの作り方に関する詳細は別記事でまとめてあります。

巨大なモアイの動かし方

10mを超えるモアイを作るのに、15人以上が毎日作業して2年かかったとされます。巨大なモアイ像は、作るのも大変ですが動かすのだって至難の業。クレーン車もトラックもなかった時代に、これだけ巨大なモアイ像をどのように動かしていたのでしょうか。

①岩山を削り完成させたモアイ像を立たせ、頭部にロープをかけて20人前後で左右から交互に引っ張って歩かせるようにして動かした。

②寝かせた状態のモアイ像の下に丸太を並べ、転がして動かした。

色々な学説がありますが、現在ではこの2つの説が有力視されています。口承ではモアイは自ら歩いたとされているので、ロープを使った①の運搬方法の方が夢のある答えなのかもしれません。

イースター島のモアイが倒れている理由

イースター島に1000体あるモアイ像のうち、かつてのようにきちんと立っているモアイは40体ほどです。その全てが20世紀以降、日本をはじめ各国の人と地元の人が協力して立ち上がらせました。これほど巨大なモアイ像が、どうして全て倒れていたのでしょうか。

かつてのイースター島では、ヤシの木が島全体を覆うように生い茂っていました。権力の誇示からモアイ像が沢山作られるようになると、モアイの運搬などで大量のヤシの木が伐採され、終には無くなってしまいました。

ヤシの木の森が消滅した事で、土地が痩せて作物が育たなくなり、食糧が不足するようになります。こうして平和に暮らしていた島内の部族の間で、戦いが生じるようになったのです。部族間で抗争が始まると、権力の象徴であったモアイが標的となります。

勝利した部族が、負けた側のモアイ像を倒す「フリ・モアイ」と呼ばれる争いが激化し、1840年頃には立った状態のモアイが全くなくなってしまいました。倒されたモアイはそのまま放置され続けました。

1960年には計器観測史上世界最大となる、マグニチュード9.5のチリ地震がイースター島を襲います。海沿いにあった多くのモアイ像は、地震による津波で流され破壊され、埋もれてしまいました。

日本とモアイの親密な関係

イースター島をブラブラしていると、地元の人達が満面の笑みでモアイ像を指さして「ハポン(日本)」と連呼しながら拍手をしたり、握手を求められたりします。最初は全く意味が分かりませんでした。話を聞いてみると、モアイ像と日本、実は密接な繋がりがあったのです。

1992年、日本の「世界不思議発見」というテレビ番組でイースター島の特集が組まれました。当時の知事が「クレーンさえあればモアイ像をもう一度立たせてあげる事が出来るのに・・・」と訴えました。

その番組を偶然見ていたクレーン製造会社、タダノの社員が反応し、社長にかけあったです。当初タダノ社は倒れているモアイ像全てを立ち上がらせようとしました。しかしそれには莫大な時間と費用が必要な事が判明します。

モアイの状態がかなり悪かった為、クレーンを使ってただ立たせるだけでは不十分でした。考古学者による専門の調査と監査の元、石のプロフェッショナルによる修復作業も同時進行で必要だったのです。

最終的にイースター島で最大規模の遺跡である、アフ・トンガリキの15体のモアイを立て直す事になりました。アフ・トンガリキのモアイ達は部族間抗争で倒された後、チリ地震による津波で内陸方向に流され破損し、そのまま放置され風化が進んでいました。

タダノ社は日本から自社クレーンをイースター島に持ち込んだだけでなく、修復費用も含めた全てを出費しました。総額はなんと1憶8000万円。その後も故障したクレーンに代わる新しいクレーンを寄付したり、タダノ社の貢献は続いています。

イースター島最大規模の遺跡が修復された事により、ユネスコの世界遺産にも登録されました。多くの観光客が訪れるようになり、イースター島の経済が潤いました。今あるイースター島の発展は、日本の一企業の多大な貢献の賜物だったのです。

そんな理由があるので、イースター島の人達は日本人にとても好意的。タダノさんが凄いだけで私達は何もしていないので、せめて島内で沢山散財してイースター島の経済に貢献しましょう。

モアイの頭の上にのせられた赤い石

後期のモアイは頭の上にプカオを乗せています。プカオは帽子のように見えますが、当時のイースター島民がしていた髪型、長い髪を結った姿を表現しています。プカオが大きければ大きいほど、髪の毛が多かった=健康だった、又はより年長者だったとされています。

当時のイースター島の男性達は髪を赤く染めていたので、赤みのある凝灰岩を使ってプカオを作りました。円柱の形に石を切り出し転がして移動させたので、削られて小さくなっても大丈夫なよう多少大きめに作りました。モアイに装着する時に最終調整したのだそう。

イースター島のモアイは謎だらけ

イースター島では昔の文献が全く残っていないので、モアイ像は多くの謎に包まれています。宇宙人がやって来て、文明交流の為にモアイ像を沢山置いていった、なんて真面目に発表する研究者もいる位です。謎だらけだからこそ、これだけ多くの人を魅了しているのかもしれません。

絶海の孤島と呼ばれ、世界から切り離されていても、日本とは何気に繋がりが強かったチリのイースター島。モアイ像だけでなく、美しい景色と親日家で人懐っこい人達で溢れた本当に素敵な島です。

イースター島の魅力

学校の教科書で見てから、ずっと本物を見て見たかったモアイ。やっと念願が叶いました。でもイースター島の魅力はモアイ像だけではありません。イースター島の観光名所と、同じようでいて実は個性豊かなモアイ達を別記事で詳しくまとめました。

モアイ像に関するマニアックな情報

イースター島のモアイツアーのガイドさん達がとにかく博識で素晴らしかったです。どの話も忘れてしまうのは勿体ないのでメモしておきました。イースター島のモアイに関して更にもっとマニアックに知りたい方はこちらも読んで下さい。

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