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チリのイースター島のモアイに関する色々な情報、世界遺産のモアイ

      2021/06/20

チリのイースター島のモアイ・ツアーのガイドさん達から聞いた、モアイに関するマニアックな情報をメモしたものです。モアイ像に関する基本的な情報は、別記事にまとめました。

イースター島のモアイ像は何の為に、どのようにして作られたのか。あれ程巨大なモアイ像が、何故全て倒されてしまったのか。まずはこちらの記事を読んでから今回のマニアックな情報を読んで下さい。

イースター島のモアイ像とは何なのか

・かつてイースター島に住んでいた人達は、高層階級の人達にはマナと呼ばれる強力な精霊の力が宿ると信じていました。その人達が亡くなると、彼らのマナを何処かに留め、今まで通り村を守ってもらおうと考えました。

・イースター島のモアイ像とは、亡くなった先祖の分身であり、マナを留める器です。その為モアイ像は常に島の内側、村の方を向いて立っています。島の中にマナの力を維持する為です。

・モアイ像はアフと呼ばれる祭壇に乗せた後、目のくぼみを作り、珊瑚と黒曜石を使って作っる目を付けました。目を付ける事によって初めてマナが宿るとされました。

・イースター島のモアイ像は時に何の変哲もない所で発見されます。それは製造場所である石切り場からの運搬途中で壊れてしまったモアイです。目のくぼみがないため、祭壇に辿り着く前のモアイ像だったと推測されます。マナが宿る前のモアイ像には神聖さが無いので、そのまま放置されました。

・平和に暮らしていた部族間の間で権力闘争が起きました。モアイは権力の象徴だったので、モアイ倒し戦争となりました。

・イースター島のモアイは主に凝灰岩で出来ています。島に1045体あるモアイのうち、11体が女性(別のガイドによれば1体)だとされています。

モアイが作られ倒された歴史的背景

・イースター島には15の部族が存在していました。モアイを彫る部族、運搬する部族、祭壇を建設する部族、持ち上げる部族、目を作る部族、それぞれの部族が異なった役割を担い、協力して暮らしていました。

・異なった役割を持つ部族が平和に暮らしていた時代は、8世紀から14世紀頃まで続きました。

・モアイが権力の証となり、より多くのより大きいモアイを作る競争のようになりました。モアイを作る為に木が伐採され、環境破壊が起こりました。森が無くなると土壌が悪くなり、作物が育たなくなりました。

・人口増加も加わって、食料の供給が間に合わなくなりました。周囲を海に囲まれた絶海の孤島イースター島では、逃げ場がありません。イースター島の人達は、残された資源を争って戦争を始めました。

・他の部族のモアイを倒す事は、その部族の守り神を倒すのと同じ意味を持ちます。敵のモアイ像を倒し合う戦争が起こりました。

・モアイの目に霊力が宿っているとされていたので、力を奪う為にモアイはうつ伏せに倒しました。

・倒したモアイの目を粉々にする事で、勝利を獲得しました。島内にあるモアイは全て倒されたので、モアイの目は全て破壊されました。奇跡的に一つだけ、原型を留める形で現存し、イースター島博物館で展示されています。

・モアイ倒し戦争の後、島民が奴隷として他の国に連れ去られたり、ヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病で死んでしまったりの悲劇が続き、1877年頃にはイースター島の人口は100人程に減ってしまいました。

・木片に刻まれた昔からある島の言葉、ロンゴ・ロンゴを読める人が居なくなってしまったので、島の歴史は今でも謎に包まれたままです。

イースター島のアフ・トンガリキ

・アフ・トンガリキはイースター島最大規模の遺跡で、一番人気の観光地です。祭壇の上に15体のモアイ像が並んでいて、1箇所のアフ(祭壇)に乗っているモアイの数として最大数なので有名となりました。

・現在は15体ですが、かつては28体あったとされます。

・初代の祭壇(アフ)はサンゴで出来ていました。祭壇は3層に分かれていて、一番下の段(入り口近くまで続いているもの)の長さは250m、その上は105mあります。

・祭壇に並ぶモアイ像は全て異なる時代のものです。左から右にかけて新しいモアイ像へと進化していきます。

・一番高いモアイは8.5mあり、重さは50トンに達します。

・イースター島で起きた1770年代の内戦で、全てのモアイが倒されました。アフ・トンガリキもしかり。

・1960年には観測史上最大のチリ地震が発生し、10mを超える津波によってモアイ像は島の内陸方向へ100m流されました。

・1996年、日本のタダノ建設の支援でクレーンが寄付され、米国、チリ、日本の技術者の協力の元、アフ・トンガリキの15体のモアイが元の位置に戻されました。

・アフ・トンガリキの15体のモアイとは少し離れ、入り口近くに設置されている一体のモアイは、1994年から1996年まで日本に展示されていました。イースター島ラパヌイの現状を世界に知らせ、募金集めを目的として日本へ送られたもので、イースター島内で唯一パスポートを持つモアイとして有名です。

・モアイの下には墓がありますが、モアイ1対に対して一人というわけではなく、その親族の遺骨も一緒に埋められています。

・モアイは集落の守護神的存在でもあるので、モアイのある場所には、必ず村があり、家の跡やマナ・ヴァイ(庭園)の跡があります。

・アフ・トンガリキとは先住民の言葉で「王の港」を意味します。イースター島には珍しく波の静かな場所なので、多くの船がこの港を使いました。イースター島の第一発見者が最初に降り立ったのもアフ・トンガリキです。

モアイが被る帽子はプカオ

・モアイは大きければ大きいほど権力の大きさを示す事が出来きました。だからモアイは時代と共にどんどん大きくなっていきました。

・頭の上に赤い帽子のようなものをのせているモアイがあります。よりモアイが高く大きく見えるように作られたとされています。

・帽子とも考えられていましたが、当時イースター島の住民がしていた髪型、髷とする説が今では大半です。

・当時の島民の男性たちは髪を長くのばし赤く染めていました。なのでプカオはモアイを作る通常の凝灰岩ではなく、赤色のある凝灰岩で作りました。

・プカオは円形に作り、石切り場からは転がして運搬しました。

・アフ・トンガリキのモアイもプカオをのせていたのですが、津波で全て落ちてしまいました。侵食や破損が酷く、モアイの上に戻すことが出来なかったものが、脇に別個で展示されています。

イースター島の個性溢れるモアイ

同じように見えるモアイ像でも、一つ一つに個性があります。イースター島にあるお勧めのモアイ像のリストを作りました。イースター島の魅力はモアイだけではありません。モアイ以外のイースター島の見所も紹介します。

イースター島のモアイに関する基本的な詳細は、別記事でまとめてあります。まずはこの記事を読んでから、マニアック系の記事を読まれる事をおすすめします。

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