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ウクライナの政情、ウクライナ紛争はどうしておこったのか、ウクライナの今後

      2022/03/25

ウクライナとロシアの関係、ソ連崩壊後ウクライナが歩んだ茨の道を解説します。現在ロシアはウクライナを軍事侵略しています。ロシアは何故ウクライナを侵略するのかに関しては、下記の別記事でまとめました。

1つの国になりきれないウクライナ

ウクライナはヨーロッパとロシアの間に位置します。その為昔からウクライナ東部と西部は、同じ国でありながら全く異なる顔を持ちます。ウクライナの西側一帯は、街の雰囲気をはじめ人々のメンタリティがヨーロッパにとても近いです。

反対にウクライナ東部はロシアとの関係が深く、沢山のロシア人が移住しているのでロシア色がかなり強い。元から居たウクライナ人もロシア語しか喋れない人が多いです。それだけではありません。

ウクライナ西部はヨーロッパの穀倉と呼ばれるほど肥沃な農地を抱え、農業に従事する人が多いです。対する東側は多くの天然資源を有する一大工業地帯。1つの国でありながら、西と東で全く異なる事がウクライナをとても難しい国にしています。

ロシアを憎む西ウクライナの人達

西ウクライナの人達はロシアに根深い恨みを抱えています。ソビエト連邦時代に多くの人が粛清され、ロシアによって人工的に引き起こされた大飢饉のせいで、1年半の間に500万人以上の農民が餓死した過去を持つからです。

事の発端は1928年からスターリンが指導した5か年計画。計画経済の名の元に、国家の強いコントロールの下で農村集団化が進められ、穀物を輸出する事で外貨を稼ぎ、それを元に鉄鋼、機械、石炭などの重工業を発展させました。

ウクライナの農民達は、自身の食糧さえ取り上げられるほど、ソ連の外貨獲得のために酷使されました。終には5人に1人が餓死する事態となり、それでも農民は農業以外の仕事には就けず、移動も許されませんでした。

どんなに辛い状況に陥っても、農民たちは逃げ出す事は出来ません。飢えた人々は死んでしまった家畜、中には親族の肉まで食べたと言います。そんな状況に我慢出来ず、ウクライナの民族主義者や地方のエリート達が抗議活動を始めます。

それをスターリンは徹底的に排除し続けました。餓死した農民の他に100万人のウクライナ人が粛清され、さらに1000万人が極寒のシベリア送りとなりました。そんな悲惨な過去を持つので、ウクライナの人達、特に農民が多かった西側はロシア憎しの人が多いです。

まだ記憶に新しいスターリン時代の悲劇だけでなく、ウクライナの歴史は、常にロシアに搾取された歴史とも言えます。ウクライナの人達は根本の部分から、ロシアに嫌悪感を募らせている人が多いのです。

親ロシア派のウクライナ東部

一方でウクライナ東部は、豊富な天然資源を元に、ウクライナ西部の農民から搾取した外貨によって工業化を進め、経済の中心地として栄えてきた地域です。ロシアからも多大なる資金と技術の提供もありました。

地理的にロシアに近いので、多くのロシア人も移住しています。ウクライナ東部は常にロシアと共に歩み、西側を犠牲にしながら甘い汁を吸ってきた歴史があるので、親ロシア派が多いのです。

欧米とロシアの間で揺れるウクライナ

ソ連崩壊後ウクライナは独立しますが、ロシアとの関係は保ってきました。政権もずっと親ロシア派でした。独立後世界を広く見渡す事で欧米への夢と期待が強まり、蓄積されたロシアへの恨みがはじけ、2004年にオレンジ革命が起こります。

政権が大交代し、親欧米派のユシチェンコ政権が誕生するのです。ユシチェンコ氏は、イケメンだったのが一夜にして化け物のような顔となった事で有名です。ダイオキシン中毒によるものとされましたが、反対陣営に毒を盛られたのだと主張しています。

ユシチェンコ氏が首相に任命したのが「美しすぎる首相」として有名になったユーリヤ・ティモシェンコ。そんなウクライナの大きな政変を、ロシアは黙視せず報復に出ます。

ロシアは兄弟国であるウクライナに、国際相場よりも大幅に安い価格で天然ガスを売っていました。そんなに欧米化したいのなら、身内関係は終わりだとばかりに、天然ガスの価格を一般価格にまで一気に引き上げたのです。

ウクライナの経済は大きく悪化し、困難な状況に追い込まれたウクライナ国民が新たに選んだのは、新露派のヤヌコビッチ大統領でした。ヤヌコビッチは当初EUに接近を試みていたのですが上手くいかず、ロシアからの圧力もあり2013年、EUとの連合協定の調印を見送ります。

これを受け「ヨーロッパへの扉が閉ざされた」と不満に思ったウクライナ国民が、大統領の退陣を求めてデモをするようになりました。日本をはじめ世界中でも、この頃からウクライナのデモの様子が盛んに報道されるようになったかと思います。

抗議活動は日に日に過激化し、2014年2月、遂に首都キエフの独立広場でデモ隊と警察の激しい武力衝突が発生します。その結果80人以上が死亡し、1100人以上が負傷しました。

西側各国のメディアはデモと報道しましたが、ロシアとウクライナ東側はテロと呼びました。かなり殺傷能力のある武器を手にした集団は、確かに市民のデモとはかけ離れた存在でした。危険を感じたヤヌーコヴィチ大統領は退陣し、ロシアに亡命し暫定政権が樹立しました。

ロシアのプーチンの実行力

目まぐるしい政変の中、ロシアは黙々と動いていました。クリミア半島に大勢の「礼儀正しい人」が集結するようになります。身元の分からない、統率のとれた、フル装備の人々です。

そしてある日、突如次々と最高評議会や空港、その他多くのクリミア半島の主要施設が、その礼儀正しい人達によって占拠され、ロシア国旗が掲げられます。すると直ぐにクリミアの住民投票が行われ、ロシア編入に98%の賛成票を集めました。この投票結果を受け、クルミア半島は忽然とロシアの国土となったのです。

ロシアがクルミア半島を狙う理由

クルミア半島南部には、ロシアの黒海艦隊基地があります。クルミア半島周辺は気候が穏やかなので、極寒の地ロシアにとって大変貴重な不凍港です。それだけでなく、クリミア半島は地理的にとても重要な場所です。

ヨーロッパへの扉口となるので、軍事的にとても有利なのです。更にはクリミアの港は、天然ガスの供給ルートとしても大切な役割を持ちます。加えてクリミア半島は1950年代までロシアだったんです。その為ロシア系の住民が50%を占めました。

ウクライナの中でもとてもロシア的な土地である事に加え、本土のロシア人にとってもクルミアはロシアの領土であらねばならぬ、との意識が強いです。このクリミアの動きを見て、同じようにロシアとの繋がりが深くロシア系の住民が多いウクライナ東部の最大の工業都市ドネツクとルガンスクの2州が紛争となり、一方的にウクライナからの独立を宣言しました。

まだ記憶に新しいマレーシア航空機襲撃事件。この紛争地帯の上空を飛行してしまったが為に敵機と間違われ、ミサイルで撃ち落とされてしまいました。こうしてウクラナイは、現在まで続く長きに渡った紛争地帯となってしまったのです。

ウクライナの今後

本来ウクライナはとても恵まれた国です。土地は肥沃でヨーロッパでも有数の穀物農地を持ち、東部では鉄鋼業を中心とした重工業が盛んです。ソ連崩壊後、多くの旧共産圏の国々が市場経済へ移行し、EU加盟を果たし、近代化された社会を築きました。

ウクライナもそんなかつての同胞たちと同じ道を歩むつもりだったのに、ウクライナ東部では戦闘が泥沼化していました。かつて工業地帯として繁栄していた街が戦場と化し、4千300人が死亡したとされています。

ウクライナの西側の人達は何としてでもロシアとの関係を絶ってEUと共に生きたい。でもウクライナは今でも国家予算の一割をつぎ込まなければならないチェルノブイリという負の遺産を抱えています。

経済の中心である東部がロシア側に編入されたままだと経済的にやっていけません。更にはウクライナ東部の人達は早くロシアに編入し、昔のように平和で安定した生活を取り戻したいと考えているのです。一つの国でありながら一枚岩となれないウクライナは、未来が全く見えません。

ウクライナと世界の思惑

ウクライナはロシアに大きな借金をしています。膨大なガス使用料の未払いがあるのです。ウクライナの債務の大半はロシアなので、ウクライナの経済が破綻しても欧米はダメージを受けませんが、ロシアにとってはたまったものではありません。

債務が踏み倒しになってしまうのです。地理的にもロシアはウクライナを欧米側へ渡したくはありません。ウクライナからモスクワへはその距離僅か500km、その間に山脈はなく見晴らしの良い平原が広がっているだけです。

ウクライナが欧米側につけば、ロシアの国防費を大幅に増強しなければなりません。反対に、だからこそ欧米サイドは強力にウクライナを後押ししています。ウクライナ問題は、既にウクライナだけの問題ではなくなっているのです。

欧米、ロシア、世界の複雑な利権が絡まりドロドロ状態。今後どのような状況になるのか全く見通しがつきません。なんて記事を数年前に書いたら、2022年、遂にロシアがウクライナを軍事侵攻し戦争が始まってしまいました。

ウクライナとロシアの戦争

2022年の現在、ロシアとウクライナは戦争をしています。解決が難しいとされていたウクライナ問題。でもまさかロシアがこれほどの規模の軍事侵攻をするとは誰も予想だにしていなかった。ロシアがウクライナを侵略する理由に関しては、別記事で詳しくまとめてあります。

ウクライナを旅する為の全て

戦争が始まってしまいましたが、ウクライナは必ず復興します。何時だって、ウクライナの人達は諦めません。ウクライナは訪れる価値のあるとても素晴らしい国。平和になったウクライナを旅する為の様々な情報を、別記事で詳しくまとめました。

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